資料区分 県史複製
請求番号 H21-1中世
文書群名 塚越欣一家文書
伝存地 倉渕村(現高崎市)
出所 旧群馬郡倉渕村川浦(現高崎市倉渕町川浦)
地名 碓氷郡川浦村(江戸期)/碓氷郡烏淵村大字川浦(明治22年)/群馬郡烏淵村大字川浦(明治29年)/倉渕村大字川浦(昭和30年)/高崎市倉渕町川浦(平成18年~現在)
旧支配 三之倉藩領/豊岡藩領/幕府領/延宝7年(1679)下総古河藩領/天和元年(1681)幕府領/寛延元年(1748)小幡藩領/明和4年(1767)幕府領/旗本佐々木氏領/明治元年(1868)岩鼻県/同4年第一次群馬県/同6年熊谷県/同9年第二次群馬県
歴史 【川浦】川浦の地名は、烏川上流の川の入り込んだ地形によるという。地内には、真田氏が北条氏の吾妻侵攻に備えた天狗山の古城、大明神山の砦跡、落人伝説の中原上の山、随の3つの行人塚、猪毛の道祖神などがある。
伝来 塚越欣一家
数量 15(簿冊1)
年代 天文5年(1536)12月23日~宝暦12年(1762)8月
構造と内容 県史収集複製資料として公開している本文書群は15点。№12「武田家定書写(三原一戦へ一番乗りに付10貫文宛行)」〔天文5年12月〕、№4「武田家朱印状写(三原一番乗りに付甲州内棟別免除)」〔天文10年〕、№2「武田家定書写(高遠落城に付甲州飛龍内10貫文免除)」〔(天文19年)庚戌年3月〕、№1「武田家朱印状写(40貫文の宛行及び忠節依頼)」〔天正9年6月〕、№9「社寺奉書一札之事(諏訪大明神など6社)」〔寛永8年8月〕、№7「除地御尋一札之事(諏訪大明神分など3カ所)」〔寛永12年9月〕、№11「一札仕候事(権田・川浦旦那衆の山伏たもん請負)」〔寛永16年3月〕、№8「川浦村卯之御成ケ可納割付之事(田15町余・畑63町余分)」〔寛永16年11月〕、№13「乍恐書付ヲ以言上仕候事(川浦村内他の新田開発一件)」〔寛永17年7月〕、№3「進入仕手形之事(惣十郎の河浦移住による身請証文)」〔寛永19年3月〕、など
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、当館インターネット検索目録
関連資料 『新編 倉渕村誌 資料編Ⅰ原始・古代、中世、近世』(参考文献:『角川地名大辞典 10 群馬県』、『上野国郡村誌 5 群馬郡(2)』など)
利用上の留意点 本資料は、マイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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