資料区分 県史複製
請求番号 H32-3-1近世
文書群名 水澤寺文書
伝存地 伊香保町(現渋川市)
出所 渋川市伊香保町水沢 水澤寺
地名 群馬郡水沢村(近世~)/西群馬郡水沢村(明治11年~)/西群馬郡伊香保町大字水沢(明治22年~)/群馬郡伊香保町大字水沢(明治29年~)/北群馬郡伊香保町大字水沢(昭和24年~)/渋川市伊香保町水沢(平成18年~現在)
旧支配 はじめ水沢観音堂除地/慶安2年(1649)寺社領(水沢観音堂)/明治4年(1871)前橋県、第1次群馬県/明治6年(1873)熊谷県/明治9年(1876)第2次群馬県
役職等 天台宗
歴史 五徳山無量壽院水澤寺と号す。本尊は十一面観音菩薩。▼高麗渡来の恵灌僧正により開山されたと伝わる。中興開基に明暦4年(1658)に没した尊秀法印を第一世とし、慶安2年(1649)に寺領朱印25石を拝領した。▼寺名の由来は『神道集』によると、伊香保太夫が伊香保姫の遺骨を納めるため、伊香保山東山麓の岩滝沢の北岸に流れる梨牛という小沢に寺を建てたことによるという。▼天保12年(1841)の「水沢寺分限書上帳」(眞光寺文書)によれば、渋川市渋川の眞光寺の末寺で、朱印高25石の観音堂領とある。観音堂は第8世貫隆法印が宝暦4年(1754)に再建を始めたといい、内陣には恵灌僧正が伝来した秘仏の千手観音を安置し、前立には慈覚大師作の千手観音像が祀られたと記される。▼現在の観音堂には12世紀の作と推定される十一面観音像が安置されている。この観音堂は、坂東三十三カ所霊場第十六番札所水沢観音としられ、近世には多くの参詣者を集めた。安政2年(1855)の「渋川村組合村柄書上帳」(渋川市堀口佳男家文書)によれば、茶屋・旅籠屋7軒、家数16軒、人数67人、馬2疋とあり、観音堂前に門前町が形成されていたことがわかる。
伝来 水澤寺に伝来。
数量 14
年代 慶安2年(1649)~昭和3年(1928)
構造と内容 〔徳川将軍朱印状写〕(千手観音堂領25石)(慶安2年8月24日)など寺領に関する文書、水沢寺之縁起(宝永7年2月)など寺史に関する文書、宗門人別御改帳(文久4年3月)など寺務に関する文書などで構成される。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第3集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『ぐんまのお寺 天台宗Ⅱ』(上毛文庫)
利用上の留意点 本資料はマイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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