資料区分 県史複製
請求番号 H34-3-2近世
文書群名 華蔵寺文書
伝存地 吉岡町
出所 北群馬郡吉岡町下野田 華蔵寺
地名 群馬郡下野田村(近世~)/西群馬郡下野田村(明治11年~)/西群馬郡明治村大字下野田(明治22年~)/群馬郡明治村大字下野田(明治29年~)/北群馬郡明治村大字下野田(昭和24年~)/北群馬郡吉岡村大字下野田(昭和30年~)/北群馬郡吉岡町大字下野田(平成3年~現在)
旧支配 はじめ高崎藩領/元禄11年(1698)幕府領・旗本領(杉山氏)/明治4年(1871)前橋県、第1次群馬県/明治6年(1873)熊谷県/明治9年(1876)第2次群馬県
役職等 本山修験宗
歴史 創建の詳細については不明。▼『上野国寺院明細帳』によると、永正16年(1519)に、伊豆国出身の駿河守維景の子孫である有相氏の親族、狩野忠山が中興したと伝える。▼古くからの本山派の修験道寺院で、慶長8年(1603)8月4日には、聖護院から金襴地結袈裟の着用を許可されている。▼一方、羽黒派との関係も深く、慶長10年(1605)7月26日には、羽黒山山頂にある常火堂の火(上火)を管理に携わる権限を得ている。▼その後は、寛延元年(1748)8月25日に、西国分村の大蔵坊の同行から、住心院直同行となるなど、本山派修験寺院としての地位を高めていったようである。▼その時の院主亮観の子が書家として有名な角田無幻で、兄の亮衍が華蔵寺を継いだ。亮衍は図書の収集活動に熱意を傾け、獅子園書庫という膨大な蔵書を残した。
伝来 華蔵寺に伝来。
数量 96
年代 延慶2年(1309)~慶応2年(1866)
構造と内容 聖護院門跡御教書(金襴地結袈裟免許)(慶長8年8月4日)をはじめとする修験道関係史料が大部を占める。特に本山派寺院だけではなく、羽黒山や湯殿山との関係を示す文書が含まれており、華蔵寺の修験道寺院としての広範な宗教活動の様子が窺われる内容となっている。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第3集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『山伏の地方史』(みやま文庫)
利用上の留意点 本資料はマイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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