資料区分 県史複製
請求番号 H40-4-3近世
文書群名 田口基家文書
伝存地 多野郡新町(現高崎市)
出所 高崎市(旧多野郡新町) 田口基家
地名 緑野郡笛木村・緑埜郡笛木新田・緑埜郡笛木新町(近世)/第十五大区第一小区(明治5年~)/緑野郡新町駅(明治8年)/多野郡新町駅(明治29年~)/多野郡新町/高崎市新町(平成18年~)
旧支配 武蔵国金窪城支配(川窪信俊)/旗本知行地/幕府直轄地/岩鼻県(慶応4年~)/第一次群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/第二次群馬県(明治9年~)
役職等 笛木新町名主役、新町町会議員や町長など
歴史 江戸期の新町は中山道の一宿場(江戸から第11番目)。近世初期には笛木村と落合村の2村があったが(共に緑野郡)、中山道の整備により倉賀野-玉村経由で本庄と通じた路線が当地を通過するようになり、新たな宿場が設けられた。▼新しい宿を笛木新町・落合新町といい、元文元年には合わせて「新町宿」と公式に名付けられた。▼明治期には「新町駅」を称したが、明治22年の町村制施行により「新町」に改称され、明治30年の郡制改正により新町は多野郡に含まれることになった。▼田口家は新町宿のなかでも笛木新町分に属し、江戸期には名主役を勤め、農業経営のほかに金融業を営み、天保4年頃からは酒造業を始めたと思われる。
数量 52
年代 宝永4(1707)年~慶応4(1868)年
構造と内容 年代のわかる最も古い文書は、宝永4(1707)年の「証文之事(9歳の女子奉公に付)」、次いで正徳2(1712)年の「御条目并道中御奉行様御書付写宿中連判帳」である。▼近世の笛木新町の村方名主文書と田口家の私的文書から成る。▼前者は、新開地における享保以降にわたる新田検地の検地帳、宗門人別改帳などを含む。▼また、笛木新町は隣接する落合新町とともに中山道新町宿を形成しているため、宿場や助郷に関わる文書も残されている。▼「乍恐以書付奉願上候(飯売下女雇い吟味一件)」「入置申一札之事(旅篭屋飯抱え女を養女に付)」など。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録
関連資料 同家の当館所蔵資料は、原本の「田口基家文書」(P8116)がある。また、同じ新町の原本として「渡邊良一家文書」(P0305)などがある。ほかに『群馬県多野郡誌』、『中山道』みやま文庫36、『新町明治百年史、『多野藤岡地方史(総説編・各説編)』など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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