資料区分 県史複製
請求番号 H41-3-1近世
文書群名 飯塚馨家文書
伝存地 多野郡鬼石町(現藤岡市)
出所 藤岡市(旧鬼石町) 飯塚馨家
地名 緑野郡三波川村/緑埜郡三波川村/第十五大区第八小区(明治5年~)/多野郡三波川村/多野郡鬼石町三波川/藤岡市三波川
旧支配 幕府領(一時旗本領)/岩鼻県(明治2年~)/第一次群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/第二次群馬県(明治6年~)
役職等 三波川村名主・戸長・村長、群馬県会議員・県会議長、鬼石町長など
歴史 飯塚家は、戦国期以来の家系を持ち、江戸時代を通じて緑埜郡三波川村の名主を世襲した。▼明治時代以後は三波川村戸長、同村長、昭和29(1954)年に三波川村と美原村が鬼石町に合併した後の初代鬼石町長も飯塚家当主が勤めている。▼また、初代の三波川村長であった飯塚志賀氏は、明治27(1894)年に県会議員に初当選以来連続六回当選し、大正4(1915)年には第19代県会議長も勤めている。
数量 500
年代 慶長3(1598)年~明治17(1884)年
構造と内容 年代のわかる最も古い文書は、慶長3(1598)年の「三波河之郷漆之帳之写」、次いで慶長17(1612)年の「禁制(御荷鉾山草木・御用木伐採禁止)」である。▼三波川村の名主文書で、近世初期の貴重な年貢割付状、皆済目録などが含まれる。▼なお、同家の原本のうち17240通は群馬県指定重要文化財である。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第集、インターネット検索目録
関連資料 同家の当館所蔵資料は、原本の「飯塚馨家文書」(P8214)、また、県史複製資料の「飯塚馨家文書」(H41-1中世・H41-3-2近現)がある。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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