資料区分 |
県史複製 |
請求番号 |
H42-1-1近世 |
文書群名 |
吉井町郷土資料館文書(吉井藩関係) |
伝存地 |
吉井町(現高崎市) |
出所 |
吉井町郷土資料館(現・高崎市立吉井郷土資料館) |
地名 |
多胡郡吉井村(近世)/多胡郡吉井町吉井(明治15年~)/多野郡吉井町吉井(明治29年~)/高崎市吉井町吉井(平成21年~) |
旧支配 |
吉井藩領(天正18年~、菅沼氏)/幕府領/幕府領と旗本領(鷹司松平氏・川田氏・松平氏・中沢氏・岩村氏等)の相給/吉井藩領(寛延元年~、鷹司松平氏)/岩鼻県(明治2年~)/第一次群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/第二次群馬県(明治9年~) |
役職等 |
吉井藩主、鷹司松平家(吉井家)当主 |
歴史 |
宝永6(1709)年、鷹司松平家に多胡郡・緑野郡等1万石が与えられた。陣屋は多胡郡矢田村(現・高崎市吉井町)に置かれ、緑野郡木部村(現・高崎市)への移転等の後、宝暦2(1752)年、多胡郡吉井村に定まった。▼鷹司松平家は、家祖信平が関白鷹司信房の息子で、3代将軍家光の義弟にあたる。一万石であるが、家格は高く、軍役が免除され、参勤交代のない定府大名であった(親藩)。▼上野国内における吉井藩領は高崎藩領周辺に散在しており、そのうえ幕府領・旗本領・大名領等との相給が多かった。▼慶応4年、松平から吉井に改姓。▼明治2年、吉井藩を朝廷に返上、領内の村々は岩鼻県に編入された。▼陣屋の置かれた吉井村は鏑川の右岸に位置する。徳川家康の関東入国にともない、吉井領を与えられた菅沼氏が、主に矢田村から住民を移住させて、町割りを行ったといわれている。▼下仁田街道の宿場町であり、七日市藩や小幡藩の公用荷物、商用荷物等の継立て地としても機能し、吉井宿・吉井町とも呼ばれた。▼村高は「寛文郷帳」で490石余、うち田方123石余・畑方366石余。「元禄郷帳」606石余、「天保郷帳」も同高、「旧高旧領」580石余。▼文政年間は家数132、人数533、ほかに借家人168等、旅籠屋4軒、茶屋7軒。▼幕末の改革組合村高帳では多胡郡27か村の組合の寄場であった。 |
伝来 |
吉井町郷土資料館(現・高崎市立吉井郷土資料館)収蔵。 |
数量 |
2 |
年代 |
近世~明治初期 |
構造と内容 |
吉井藩主(鷹司松平家・吉井家当主)あての文書2点である。▼「〔年々1万俵下付状〕」は松平左兵衛督あての幕府からの文書である。▼「(元御藩士卒にて当時東京府貫属当地住居の者御尋ね)」は、吉井家当主に対し、太政大臣三条実美が調査を依頼した書状である。▼吉井藩主は慶応4年、松平から吉井に改姓した。▼吉井町誌編集の調査にあたり、吉井藩主家の子孫の方より吉井町に寄贈された350点の藩主家資料(十一代信発公像の軸物・掛物・和歌短冊・兵法書・写真・手紙類・一族の遺品など)は、「吉井藩主家資料」として高崎市指定重要文化財である(吉井郷土資料館所蔵)。 |
検索手段 |
『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録 |
関連資料 |
当館の収蔵資料に、吉井藩に関する文書群として古文書「小此木千代子家文書」(P8206)、マイクロフィルム収集文書「上野吉井藩記録」(PF9003)、県史複製資料「吉井町郷土資料館文書7(土屋百合子氏寄贈史料)」(H42-1-1(7)近世)等。▼絵図として明治6年の壬申地券地引絵図「吉井町」(A0181AMA 748、国重文)等。▼近世の吉井村(吉井宿)に関する文書として「吉井町郷土資料館文書5(本多夏彦氏寄贈史料)」(H42-1-1(5)近世)、「大澤末男家文書」(H42-1-2近世)等。▼図書として『吉井町誌』『多野藤岡地方誌』『群馬県多野郡誌』吉井町の項、『郡村誌』吉井村の項、『島高堅自記 多胡旧記・吉井町由来覚書』等。▼当資料と同じく「H42-」で請求番号が始まる県史収集複製資料は、旧・多野郡吉井町に伝来した資料である。▼参考文献:上記の他に『角川日本地名大辞典10群馬県』『群馬県史』『群馬県姓氏家系大辞典』等 |
利用上の留意点 |
本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。 |