資料区分 県史複製
請求番号 H42-1-1(7)近世
文書群名 吉井町郷土資料館文書7(土屋百合子氏寄贈史料)
伝存地 吉井町(現高崎市)
出所 吉井町郷土資料館(現・高崎市立吉井郷土資料館)
地名 多胡郡吉井村(近世)/多胡郡吉井町吉井(明治15年~)/多野郡吉井町吉井(明治29年~)/高崎市吉井町吉井(平成21年~)
旧支配 吉井藩領(天正18年~、菅沼氏)/幕府領/幕府領と旗本領(鷹司松平氏・川田氏・松平氏・中沢氏・岩村氏等)の相給/吉井藩領(寛延元年~、鷹司松平氏)/岩鼻県(明治2年~)/第一次群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/第二次群馬県(明治9年~)
役職等 吉井藩主、鷹司松平家(吉井家)当主
歴史 宝永6(1709)年、鷹司松平家に多胡郡・緑野郡等1万石が与えられた。陣屋は多胡郡矢田村(現・高崎市吉井町矢田)に置かれ、緑野郡木部村(現・高崎市)への移転等の後、宝暦2(1752)年、多胡郡吉井村に定まった。▼鷹司松平家は家祖信平が関白鷹司信房の息子で、3代将軍家光の義弟にあたる。一万石であるが、家格は高く、軍役が免除され、参勤交代のない定府大名であった(親藩)。▼上野国内における吉井藩領は高崎藩領周辺に散在しており、そのうえ幕府領・旗本領・大名領等との相給が多かった。▼慶応4年、松平から吉井に改姓。▼明治2年、吉井藩を朝廷に返上、村々は岩鼻県に編入された。▼本文書群の寄贈者である土屋百合子氏は、最後の吉井藩主・吉井信謹の次男信照の娘である。信照は大正6年にマレー半島でゴム栽培事業に着手し(日南護謨株式会社)、旧領吉井町からも橳島氏・小柏氏・堀越氏らが渡航し従事した。
伝来 吉井町郷土資料館(現・高崎市立吉井郷土資料館)収蔵。
数量 11
年代 慶応元年(1865)~明治26年(1893)
構造と内容 吉井藩主(吉井家)の子孫である土屋百合子氏より寄贈された史料である。▼幕末・明治初期の吉井藩に関する文書が中心である。▼家臣の誓約血判状である「政事預参誓約」(1/別1)、利根郡戸倉(現・片品村)への出兵命令(1/5)、小栗上野介一件につき感状「〔天朝のため忠勤申付け状〕」(1/4)、版籍奉還願「〔王政一新万機親裁の趣意に付封土奉還願〕」(1/273)、任命状〔吉井藩知事申付け状〕(1/1)等がある。▼ほかに、藩主・吉井家の系図(1/47)、家臣の書上である「御目見以上名前」(1/162、弘化年間)等(以上7点は『群馬県史 資料編9』収録)。▼吉井宿を寄場とする多胡郡27か村の絵図もある(1/164、高崎市吉井郷土資料館「古代と今をつなぐ牛伏の嶺」で展示)。▼なお、官軍側として従軍した吉井藩兵の名前は、東京大学史料編纂所所蔵「上野介父子追討出兵調」に詳しい(『群馬県史 資料編10』収録)▼当館収蔵資料には、吉井藩に関連する文書として、明治3年の領内村々の嘆願書「乍恐以書付奉歎願候(知事職御免にて岩鼻県へ引渡しに付)」(大澤末男家文書、H42-1-2近世)、「上野吉井藩記録」(PF9003)等がある。▼自治体誌に収録された文書が多い。▼吉井町誌編集の調査にあたり、吉井藩主家の子孫の方より吉井町に寄贈された350点の藩主家資料(十一代信発公像の軸物・掛物・和歌短冊・兵法書・写真・手紙類・一族の遺品など)は「吉井藩主家資料」として高崎市指定重要文化財である。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録
関連資料 当館の収蔵資料に、吉井藩に関する資料として「小此木千代子家文書」(P8206)、「貫属明細短冊帳(旧沼田藩・旧小幡藩・旧吉井藩・その他)」(A0387B0G 2548)、マイクロフィルム収集文書「上野吉井藩記録」(PF9003)、県史複製資料「吉井町郷土資料館文書」(H42-1-1近世)等。▼絵図として明治6年の壬申地券地引絵図「吉井町」(A0181AMA 748、国重文)等。▼近世の吉井村(吉井宿)に関する文書として「吉井町郷土資料館文書5(本多夏彦氏寄贈史料)」(H42-1-1(5)近世)、「大澤末男家文書」(H42-1-2近世)等。▼図書として『吉井町誌』『多野藤岡地方誌』『群馬県多野郡誌』吉井町の項、『郡村誌』吉井村の項、『島高堅自記 多胡旧記・吉井町由来覚書』等。▼当資料と同じく「H42-」で請求番号が始まる県史収集複製資料は、旧・多野郡吉井町に伝来した資料である。▼参考文献:上記の他に『角川日本地名大辞典10群馬県』『群馬県史』『群馬県姓氏家系大辞典』等
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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