資料区分 県史複製
請求番号 H42-9-1近世
文書群名 斉藤弥平家文書
伝存地 吉井町(現高崎市)
出所 多野郡吉井町(現・高崎市) 斉藤弥平家
地名 多胡郡矢田村(近世)/多胡郡吉井町矢田(明治22年~)/多野郡吉井町矢田(明治29年~)/高崎市吉井町矢田(平成21年~)
旧支配 吉井藩領(天正18年~、菅沼氏)/幕府領/旗本松平氏領(延宝2年~)/吉井藩領(宝永6年~、鷹司松平氏)/岩鼻県(明治2年~)/第一次群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/第二次群馬県(明治9年~)
役職等 名主
歴史 斉藤家は往古に日枝神社(村社)とともに当地へ移住し、代々、仁叟寺の檀徒総代であったという。▼代々名主で弥平を襲名した。▼矢田は上信国境に源をもち東流する鏑川右岸の多胡段丘と吉井段丘にわたり、矢田川(旧・天久川)流域に位置する。▼村高は「寛文郷帳」で537石余、うち田方193石余・畑方343石余。「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」とも同高。▼幕末の改革寄場組合では、吉井村を寄場とする多胡郡27か村の組合に属し、家数25。▼天正18年、徳川家康から吉井領を与えられた菅沼氏は、吉井の城下建設に際し、周辺からの移住策をとったが、その過半は当村からという。▼松平鷹司家が陣屋を置いた延宝7年から宝暦2年まで、当地は領内の政治・文化の中心地であった(陣屋は一時、緑野郡木部村に移転)。▼天久沢の馬頭観音は多胡郡三十三観音の第23番札所。▼所蔵者の斉藤弥平氏は中学校校長等を勤めた洋画家で、『吉井町誌』『多野藤岡地方誌』の見返しの絵(吉井藩士登城の図)等を描いた。
伝来 斉藤家に伝来。
数量 9
年代 享保19年(1734)~明治2年(1869)
構造と内容 矢田村の名主文書である。▼貢租関係として「差上申証文之事(3カ年定免請書)」(1/7、天明元年)、隣の川内村の百姓による「口上書を以奉願上候(凶年に付先納金割返し又は年貢10年賦願)」(1/20、天明5年)等がある。▼「乍恐以書付を御訴訟奉申上候(越石百姓古例通り増し夫銭に付)」(1/49)は西松田村、川内の越石に関する文書である。▼「潰株作徳有無取調書上帳」(1/31、安政4年)等土地関係もある。▼「乍恐以書付御訴訟奉申上候(小作金滞り出入)」(1/22)は隣の多比良村松田組の百姓を訴えた文書である(嘉永6年)。▼「御預申鉄炮証文之事(四季打玉入り鉄炮3挺)」(1/19、天明4年)の鉄砲関係、「差上申御請書之事(痢病災難除けに付獅子舞奉納請書)」(1/23、明治2年)の疫病関係もある。▼「毎年御仕置証文控」(1/3)は宗門改めの前書き等であるが、矢田村・多比良村境の天久沢御林の松木に関する文書(享保19年)の写しもある。▼嘉永・明治の文書には名主に弥平の名前がある。矢田を中心とする吉井町地域南部の貴重な史料である。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録
関連資料 当館の収蔵資料に、絵図として明治6年の壬申地券地引絵図「矢田村」(A0181AMA 106、国重文)等。▼矢田の文書群として県史複製資料「吉井町郷土資料館文書9(伊藤幸吉家文書)」(H42-1-1(9)近世)、「小林義夫家文書」(H42-9-2近世)等。▼吉井藩に関する文書群として古文書「小此木千代子家文書」(P8206)、マイクロフィルム収集文書「上野吉井藩記録」(PF9003)、「吉井町郷土資料館文書7(土屋百合子氏寄贈史料)」(H42-1-1(7)近世)等。▼近世の吉井村(吉井宿)に関する文書として「吉井町郷土資料館文書5(本多夏彦氏寄贈史料)」(H42-1-1(5)近世)、「大澤末男家文書」(H42-1-2近世)等。▼図書として『吉井町誌』『多野藤岡地方誌』『群馬県多野郡誌』吉井町の項、『郡村誌』矢田村の項、『島高堅自記 多胡旧記・吉井町由来覚書』等。▼当資料と同じく「H42-」で請求番号が始まる県史収集複製資料は、旧・多野郡吉井町に伝来した資料である。▼参考文献:上記の他に『角川日本地名大辞典10群馬県』『群馬県史』『群馬県姓氏家系大辞典』等
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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