資料区分 県史複製
請求番号 H51-9-2近世
文書群名 長楽寺文書
伝存地 下仁田町
出所 甘楽郡下仁田町本宿 長楽寺
地名 甘楽郡本宿村(近世~)/甘楽郡西野牧村本宿(明治8年~)/北甘楽郡西野牧村本宿(明治11年~)/北甘楽郡本宿村(明治22年~)/北甘楽郡西牧村大字本宿(明治23年~)/甘楽郡西牧村大字本宿(昭和25年~)/甘楽郡下仁田町大字本宿(昭和30年~現在)
旧支配 幕府領/明治元年(1868)岩鼻県/明治4年(1871)第1次群馬県/明治6年(1873)熊谷県/明治9年(1876)第2次群馬県
役職等 曹洞宗
歴史 弘誓山長楽寺と号す。本尊は釈迦如来。▼寺の開創については不明な点が多いが、文政11年(1828)に第十九世著庵忍鎧が記した『弘誓山長楽寺伽藍伝法記』によると、建久年間に弘誓入道という者が尊像を背負って栄朝禅師に随って来村し、仏像を安置して居住した庵がはじまりという。また、栄朝禅師が世良田長楽寺の開山となったため、弘誓が栄朝禅師を慕って寺号を長楽寺と定めたと記す。▼享禄元年(1528)、鬼石町永源寺三世の幻室伊蓬禅師が正式に入山し、永源寺末の曹洞宗寺院として開山されたが、開基は不明である。▼正保4年(1647)には大火災のため全ての堂宇が焼失したものの、六世の亀州応鶴によって新たに寺地が求められ、堂宇も再建された。
伝来 長楽寺に伝来。
数量 47
年代 天正20年(1592)~明治27年(1894)
構造と内容 〔切紙〕(慶長14年9月)をはじめとする曹洞宗の伝法関係文書、〔漆萱村・上小坂村山論裁許写〕(宝永3年4月6日)など山論、境界論関係の文書、往来一札之事(矢川村角左衛門夫婦神社仏閣参詣に付)(安政3年4月)など民政に関する文書などで構成される。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『ぐんまのお寺 曹洞宗Ⅱ』(上毛文庫)
利用上の留意点 本資料はマイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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