資料区分 |
県史複製 |
請求番号 |
H53-3-2近世 |
文書群名 |
宝積寺文書 |
伝存地 |
甘楽町 |
出所 |
甘楽郡甘楽町轟 宝積寺 |
地名 |
甘楽郡轟村(近世~)/北甘楽郡轟村(明治11年~)/北甘楽郡小幡村大字轟(明治22年~)/北甘楽郡小幡町大字轟(大正14年~)/甘楽郡小幡町大字轟(昭和25年~)/甘楽郡甘楽町大字轟(昭和34年~現在) |
旧支配 |
小幡藩領/明治4年(1871)小幡県・第1次群馬県/明治6年(1873)熊谷県/明治9年(1876)第2次群馬県 |
役職等 |
曹洞宗 |
歴史 |
鷲?山宝積寺と号す。本尊は釈迦如来。▼開創に関しては不明な点が多いが、延慶元年(1308)に天台宗寺院として創建されたと伝えられている。本堂裏には小幡氏墓地として、中世の板碑(弘安3年銘など)・五輪塔・宝篋印塔などが存在することから、創建期より小幡氏と深いかかわりを持った氏寺的な存在であった可能性は高い。▼曹洞宗寺院としての当寺は、明治12年の『寺院明細帳』によると、宝徳2年(1450)に即庵宗覚を開山とし、在地領主の小幡実高によって開基されたという。▼上野国において在地領主の庇護を受けて曹洞宗寺院が急激に増加するのは1530年代とされるが、当時はその先駆的な役割をはたしたと思われる。▼小幡氏が滅亡すると、元和元年(1615)に小幡領2万石をもって入封した織田氏が菩提寺としたが、その後確執が生じ、正保年間以降は織田氏との関係は途切れる。▼慶安元年(1648)には当地方の寺社の中では最高の朱印地30石を与えられたという。 |
伝来 |
宝積寺に伝来。 |
数量 |
24 |
年代 |
元和5年(1619)~明治5年(1872) |
構造と内容 |
徳川家綱朱印状写(宝積寺領30石他)(寛文5年7月11日)など寺領に関する文書、〔関宿東昌寺と小幡宝積寺の本末争論裁許覚〕(元禄7年8月18日)など寺務に関する文書、鷲銅山宝積寺創開因由(明和6年2月)や小幡氏歴代法名記録(万延元年9月)などの寺史に関する文書などで構成される。 |
検索手段 |
『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録 |
関連資料 |
参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『ぐんまのお寺 曹洞宗Ⅱ』(上毛文庫) |
利用上の留意点 |
本資料はマイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。 |