資料区分 県史複製
請求番号 H41-1中世
文書群名 飯塚馨家文書
伝存地 鬼石町(現藤岡市)
出所 鬼石町(現藤岡市) 飯塚馨家文書
地名 (緑埜郡)北谷之郷(北谷村)
旧支配 御嶽領(長井氏・北条氏邦)
役職等 地侍
歴史 飯塚家は、戦国期以来の家系を持ち、江戸時代を通じて緑埜郡三波川村の名主を世襲した。▼明治時代以後は三波川村戸長、同村長、昭和29(1954)年に三波川村と美原村が鬼石町に合併した後の初代鬼石町長も飯塚家当主が勤めている。▼また、初代の三波川村長であった飯塚志賀氏は、明治27(1894)年に県会議員に初当選以来連続六回当選し、大正4(1915)年には第17代県会議長も勤めている。
伝来 緑埜郡三波川村(旧鬼石町・現藤岡市三波川)の琴辻に屋敷を構えた飯塚家に伝来した戦国期以降から昭和期までの文書群である。▼原本は当館へ寄贈された。
数量 34
年代 天文21年(1552)~慶応4年
構造と内容 天文21年(1552)の北条家朱印状をはじめとする北条家・北条氏邦から百姓中・飯塚氏が受給した朱印状、武蔵国御嶽城主の長井政実から飯塚氏が受給した判物が多い。他に猪俣邦憲・武田勝頼らから受給した文書も含む。(群馬県重要文化財)
検索手段 『群馬県史収集複製資料目録』第1集、当館インターネット検索目録、飯塚馨家文書目録、『群馬県立文書館収蔵文書目録』11、『群馬県立文書館収蔵文書目録』12
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県の地名』[日本歴史地名大系10]』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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