資料区分 |
県史複製 |
請求番号 |
H54-2-1近世 |
文書群名 |
山本秀夫家文書 |
伝存地 |
松井田町(現安中市) |
出所 |
安中市松井田町松井田 山本家 |
地名 |
上野国碓氷郡松井田村(近世)/安中県碓氷郡松井田村(明治4年・1871年7月)/群馬県碓氷郡松井田村(明治4年10月)/熊谷県碓氷郡松井田村(明治6年)/群馬県碓氷郡松井田村(明治9年)/碓氷郡松井田町大字松井田(明治22年)/(新)碓氷郡松井田町大字松井田(昭和33年・1958年)/安中市松井田町(平成18年・2006年~現在) |
旧支配 |
安中藩領(慶長年間~)/安中県(明治4年・1871年7月~)/第一次群馬県(明治4年10月~)/熊谷県(明治6年・1873~)/第二次群馬県(明治9年・1876年~現在) |
役職等 |
碓氷関所の役人、安中藩士。 |
歴史 |
山本家は碓氷関所の番頭、関所役人の筆頭、安中藩五十石取りの上級藩士だった家である。▼慶長年間(1596~1615)から町並みの整備が進められ、延宝年間(1673~1681)までに中山道の宿場としての構造が整えられた。村落として安中藩の統治を受けるが、村内の宿場は幕府道中奉行の管轄下であった。寛延2年(1749)の村明細帳によると、寛文4年(1664)の検地で高363石余、反別は田3町5反余・畑37町8反余、新田8反余・新畑17町2反余(『松井田町誌』)。「寛文郷帳」363石余、うち田方32石余・畑331石余、「元禄郷帳」490石余、「天保郷帳」「旧高旧領取調帳」ともに484石余。年貢は、米納・金納の本途物成の他、大豆・荏・小豆・荒麦・中綿・上麻・萱・蕨・渋柿などの小物成があった。宿について、嘉永5年(1852)の宿方明細帳(安中市教育委員会所蔵文書)によると、宿内往還の長さ15町38間、伝馬屋敷85軒半。寛政12年(1800)改めで、家数250、うち百姓分101、残り伝馬屋敷85軒・半分家数149で御定人馬を負担した。問屋場2、本陣2、脇本陣2、旅籠25(うち大5・中14・小6)。本陣の両家が問屋場と村名主を兼帯した。松井田宿は、諸大名・公家たちの休伯は比較的少なかったが、信州諸大名からの廻米継立、払い米取引など物資の中継地として重要な機能を果たした。寺院は、朱印高89石余の真言宗滝本山不動寺、同43石の臨済宗貞松山崇徳寺、同25石余の本山修験宗久蔵坊などがある。幕末の改革組合村高帳によると、当村ほか35か村組合の寄場村となっており、高363石余、家数259。松井田宿の助郷村は、元禄年間(1688~1704)と安永年間(1772~1781)にそれぞれ組み換えがあったが、明治5年(1872)の廃止時点で、17か村・高1万1,892石、現在の安中市及び富岡市の一部からなっていた。 |
伝来 |
安中市松井田町松井田 山本家 |
数量 |
2 |
年代 |
寛延2年(1749)~宝暦2年(1752) |
構造と内容 |
御所替後御関所内偏一件(寛延2年)、〔碓氷関所内偏一件〕(寛延2年~宝暦2)がある。 |
検索手段 |
『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録 |
関連資料 |
参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など |
利用上の留意点 |
本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。 |