資料区分 県史複製
請求番号 H54-3-3近世
文書群名 武井直二家文書
伝存地 松井田町(現安中市)
出所 安中市松井田町横川 武井直二家
地名 上野国碓氷郡横川村(近世)/安中県碓氷郡横川村(明治4年・1871年7月)/群馬県碓氷郡横川村(明治4年10月)/熊谷県碓氷郡横川村(明治6年)/群馬県碓氷郡横川村(明治9年)/碓氷郡臼井町大字横川(明治22年)/(新)碓氷郡松井田町大字横川(昭和29年・1954年)/安中市松井田町横川(平成18年・2006年~現在)
旧支配 安中藩領(慶長年間~)/安中県(明治4年・1871年7月)/第一次群馬県(明治4年・1871年10月)/熊谷県(明治6年・1873年)/第二次群馬県(明治9年・1876年~現在)
歴史 村高は、「寛文郷帳」231石余、うち田方65石余・畑166石余、「元禄郷帳」249石余、「天保郷帳」「旧高旧領取調帳」ともに249石余。249石余のうちに山王権現社領17石余が含まれる。享和元年(1801)の村明細帳(佐藤家文書)によると、村高231石余、反別は本田畑21町31軒・幅2間半、家数84。村内の中山道の長さは、21町31間・幅2間半、家数84。農間稼ぎは、男が坂本宿への駄賃馬または薪取り、女が絹・麻布織り。助郷は、年貢は、坂本宿への定助郷を勤めるとある。江戸幕府は、中山道の押さえとして慶長19年(1614)、当村北方の台地関長原に仮番所を立てたが、元和9年(1623)当村西端、南方は山が迫るという地形の場所に碓氷関所を設置した。この碓氷関所の設置に伴い、横川村は交通の要衝となり、130余戸の村落へと発展した。碓氷関所は、街道を仕切って、東西に関門があった。西門は幕府所轄の門で「天下の門」と呼ばれ、そこから52間2尺離れた東門は、関所守護を命じられた安中藩の所轄であった。「入鉄炮に出女」の確認が重視され、通行手形は改め次第に特使を立てて江戸の幕府に送り届けた。西御門番の老女が、改め女として念入りな取り調べを行った。通行の門限は、明け六つより暮れ六つまでとなっていた。矢の沢の家・かりがね屋という2軒の茶屋本陣が現存するが、関所を通過する大名が旅装を整えるために利用したとされる。明治2年(1869)、碓氷関所は廃関となった。幕末の改革組合村高帳によると、松井田宿寄場組合に属し、高231石余・家数76。
伝来 安中市松井田町横川 武井直二家
数量 35
年代 寛延3年(1750)7月~明治13年(1880)7月
構造と内容 村々申渡定書(板倉佐渡守定書、寛延3年)、牛馬一件(宿間にて旅人・牛馬宿渡世一件、天保10年)、御伝馬平均帳(慶応元年)、などがある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
先頭に戻ります。