資料区分 |
県史複製 |
請求番号 |
H54-5-1近世 |
文書群名 |
佐藤久家文書 |
伝存地 |
松井田町(現安中市) |
出所 |
安中市松井田町原 佐藤家 |
地名 |
上野国碓氷郡原村(近世)/安中県碓氷郡原村(明治4年7月)/群馬県碓氷郡原村(明治4年10月)/熊谷県碓氷郡原村(明治6年)/群馬県碓氷郡原村(明治9年)/碓氷郡坂本町大字原(明治22年)/碓氷郡松井田町大字原(昭和29年・1954年)/安中市松井田町原(平成18年・2016年~現在) |
旧支配 |
安中藩領(慶長年間~)/安中県(明治4年・1871年7月)/第一次群馬県(明治4年・1871年10月)/熊谷県(明治6年・1873年)/第二次群馬県(明治9年・1876年~現在) |
歴史 |
村高は、「寛文郷帳」101石余、うち田方10石余・畑方91石余、「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領取調帳」ともに101石余。用水は、上水位にある坂本宿南裏から取水。天保12年(1841)の安中藩領の反取りをみると、当村の耕地は、下田・下々田・新下田の3等級である(『松井田町誌』)。碓氷関所の御用を務める村々の1村で、名主は碓氷関所が置かれた横川村の茶屋本陣武井家が、当村と横川村を世襲兼帯した。戸口は、天明5年(1785)が218人のうち男122・女96人、57軒。天保6年(1835)は151人のうち男151・女72、53軒、馬4疋(『松井田町誌』)。鎮守は、白髪神社。同社近くには碓氷関所の鉄炮蔵があり、加賀の前田氏でさえ500挺のうち495挺をこの蔵に預け、5挺のみが江戸へ持ち込めた、という話が残されている。寺院は、真言宗正覚寺があったが、明治7年新堀村金剛寺に合併された(『松井田町誌』)。薬師坂には、薬師様がある。幕末の改革組合村高帳によると、松井田宿寄場組合に属し、高101石余、家数48。 |
伝来 |
安中市松井田町原 佐藤家 |
数量 |
21 |
年代 |
寛文4年(1664)3月~明治4年(1871)11月 |
構造と内容 |
原村新田畑検地水帳写(寛文4年)、差出シ申一札之事(助郷人馬雇い一件、安永8年)、御触書帳(慶応2年)などがある。 |
検索手段 |
『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録 |
関連資料 |
参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など |
利用上の留意点 |
本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。 |