資料区分 県史複製
請求番号 H54-7-1近世
文書群名 曽根アキ家文書
伝存地 松井田町(現安中市)
出所 安中市松井田町峠 曽根家
地名 上野国碓氷郡峠村(近世)/安中県碓氷郡峠村(明治4年・1871年7月)/群馬県碓氷郡峠村(明治4年10月)/熊谷県碓氷郡峠村(明治6年)/群馬県碓氷郡峠村(明治9年)/碓氷郡坂本町大字峠(明治22年)/碓氷郡松井田町大字峠(昭和29年・1954年)/安中市松井田町峠(平成18年・2006年~現在)
旧支配 安中藩領(慶長年間~)/安中県(明治4年・1871年7月~)/第一次群馬県(明治4年・1871年10月~)/熊谷県(明治6年・1873年)/第二次群馬県(明治9年・1876年~現在)
役職等 碓氷峠の茶屋あづまや
歴史 当村は、熊野権現社地として除地にされ、高付けはなかった。元禄13年(1700)の人数190のうち男102・女88、家数27、馬3(『松井田町誌』)。宝永6年(1709)の人数173、家数31(曽根家文書)。安永2年(1773)の村明細帳(水沢家文書)によると、熊野権現社家30軒が往還沿いに並び、人数131。上州・信州の氏子への牛王札配り、夏・秋の初穂料にて暮らすとある。しかし、碓氷峠の頂上という高地に位置するため、物産がなく、御初穂料のみでは生活できず、雇い人を使って力餅にミノホシ大根・ワラビ・ゼンマイなどの山菜をつけたものを作らせ、木地師には杓子などを作らせ、これらを店に並べて売り生業とした。
伝来 安中市松井田町峠 曽根家
数量 41
年代 寛文2年(1662)5月~明治9年(1876)
構造と内容 信州・上州境目熊野権現之儀上州之社人と神宮寺愁訴論申渡書(寛文2年)、浅間山焼往還御普請砂降仕越御普請覚(呑水用水等差支えに付御普請請書、天明3年)、浅間山焼往還御普請砂除仕立方写(砂除け御普請請書、天明3年)などがある。96人の藩士の氏名・着時刻・着順などが克明に記された、いわゆる安政遠足の関係文書など。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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