資料区分 県史複製
請求番号 H60-2-1近世
文書群名 一場健家文書
伝存地 中之条町
出所 吾妻郡中之条町 一場家
役職等 真田家家臣、狩宿関所番(幕臣)
歴史 一場家の祖先には、真田幸綱が岩櫃城を攻略した永禄6(1563)年に右京進(「加沢記」)、天正11(1583)年に一場源七郎(「真田遺文 真田編一」)、右京進(一場家文書)などがいる。▼近世の一場家は、天正18(1590)年、真田信之が沼田城主に就くと、吾妻郡の代官として働き、元和元(1615)年の岩櫃城廃城により、城下の平川戸から原町(現・東吾妻町)へ移った。▼天和元(1681)年の真田氏改易後、幕府代官支配になったとき、旧沼田藩士の一場・片山・信沢・大塩(宝永7年からは栃原に交代)の4人が関所番に起用された。勤務の形態は、半月ずつの一人勤めであったが、慶応3年には二人制となった。狩宿関所は、沓掛方面から草津への入湯客取締りを担っていたが、明治2年に撤去された。(参考「一場家文書について」藤井茂樹・宮崎真砂代)
構造と内容 中之条町指定重要文化財。
関連資料 一場家文書(PF0005・PF0302)、栃原まつ江家文書(FP9903)、栃原仙次郎家文書(FP9904)、片山喜四郎家文書(FP0004)など。▼狩野氏による『吾妻路の歴史散策』平成5年、『吾妻路の歴史散策その二』平成6年など。▼(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
先頭に戻ります。