資料区分 県史複製
請求番号 H65-1-1近世
文書群名 光泉寺文書
伝存地 草津町
出所 新義真言宗豊山派光泉寺
地名 吾妻郡草津村(近世)/吾妻郡草津村(明治22年~)/吾妻郡草津町(明治34年~)
旧支配 沼田藩真田氏家臣湯本氏(天正18年~)/沼田藩真田氏(寛文5年~)/幕府領(天和元年~)
歴史 草津山光泉寺と号し、新義真言宗豊山派。本尊は千手観音と薬師如来。総本山長谷寺の末寺であるが、『寺院明細帳』によると開基は不明。正治2年(1200)に弘箕によって中興開山、宝永7年(1710)の火災で堂宇は悉く焼失するが、当時の住職弘円が正徳3年(1713)に再建したという。▼明治38年(1905)、草津の冬住みの村である吾妻郡六合村大字小雨に創建された寺であった小雨光泉寺(新義真言宗豊山派)を合併し現在に至る。
伝来 新義真言宗豊山派
数量 3
年代 正治2年(1200)~元禄16年(1703)
構造と内容 正治2年の「上野国吾妻郡草津温泉由来」、天正15年5月8日に前関白近衛前久が奉納した「なむやくししうにしむ(南無薬師十二神)」の文字を頭においた和歌の巻物一巻、元禄16年8月8日の〔草津温泉効能効験記〕の3点。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『H65-2中世 光泉寺文書』、『角川日本地名大辞典10群馬県』、『日本歴史大系10群馬県の地名』、『ぐんまのお寺 真言宗Ⅱ』(上毛新聞社)など
利用上の留意点 本資料はマイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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