資料区分 県史複製
請求番号 H66-1-1近世
文書群名 市川義夫家文書
伝存地 六合村(現中之条町)
出所 吾妻郡中之条町(旧・六合村) 市川義夫家
地名 吾妻郡小雨村(近世)/岩鼻県吾妻郡小雨村(明治元年~)/群馬県吾妻郡小雨村(明治4年~)/熊谷県吾妻郡小雨村(明治6年~)/群馬県吾妻郡小雨村(明治9年~)/吾妻郡草津村大字小雨(明治22年~)/吾妻郡六合村大字小雨(明治33年~)/吾妻郡中之条町小雨(平成22年~現在)
旧支配 沼田藩領(真田氏)/幕府領(天和元年・1681年~)/岩鼻県/第一次群馬県/熊谷県/群馬県
役職等 小雨村組頭(近世)、小雨村戸長(明治)、酒造・旅宿業(屋号:中村屋)
歴史 小雨村(こさめ)の村高は寛文2年(1662)の真田氏の検地では178石余。貞享2年(1685)の検地帳では61石余となっている。「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領帳」でも同高。幕末の改革組合村では大戸寄場組合に属した。白砂川にかかる小雨橋の掛け替えは21ヶ村の自普請で行われた。▼草津温泉は、標高1200メートルの高地にあるため、冬が厳しく積雪も多い。よってこの時期には湯治客の足が途絶え、住人も生活が困難なため、10月~3月の間、雪の少ない小雨村・前口村へ移住する独特な生活方法をとっていた。これを「冬住み」という。 《参考文献》『群馬県の地名』・『角川日本地名大辞典 群馬県10』・『群馬県史』通史編6
伝来 市川家に伝来。
数量 78
関連資料 同家の文書としてマイクロ収集文書「吾妻郡六合村 市川義夫家文書」(PF0207)がある。
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