資料区分 県史複製
請求番号 H62-1中世
文書群名 大宮巖鼓神社文書
伝存地 吾妻町(現東吾妻町)
出所 吾妻町(現東吾妻町) 大宮巖鼓神社文書
地名 吾妻郡
旧支配 国衆真田氏→沼田藩真田家→幕府領ほか
役職等 大宮巌鼓神社神官
歴史 大宮巌鼓神社(おおみやいわつつみじんじや)は中之条盆地西部の四万川右岸台地に鎮座する。祭神は日本武尊・弟橘姫命・素盞嗚命。旧郷社。神社後方に上越国境の山脈が連なり、四万川の水源稲包山(一五九七・七メートル)は山神・水源の神として信仰される。「三代実録」元慶四年(八八〇)五月二五日条によると、上野国正六位上稲裹地神に従五位下勲一二等が授けられている。中世には岩櫃城の東麓にあたり、神官高山氏は在地領主として真田氏に属した。天正一八年(一五九〇)一二月真田信幸の検地で五貫文の社領が七貫八〇〇文とされ、前々のごとく当社に安堵されている(同月一九日「真田信幸宛行状」大宮神社文書)。近世にも引続き宮司を勤める高山家の真淹は、五反田村(現中之条町)田村家の古記録「原町いなつつみ大明神」から、巌鼓は「いなつつみ」が変化したものと考え、文化三年(一八〇六)稲包山登山口の四万村譲葉(現同上)に稲裹神社を建立、真淹の師である山田村(現同上)町田延陵の撰文・書になる碑を建てた。社宝の蕨手太刀は伝世品としては珍しい直刀で、県指定重要文化財。
伝来 大宮巌鼓神社に伝来した文書。
数量 8
年代 天正18年(1590)~宝暦13年(1763)
構造と内容 主に大宮巌鼓神社と神官高山氏に関わる古文書。神官高山氏は在地領主として真田氏に属し、天正18年(1590)12月真田信幸の検地で5貫文の社領が7貫800文とされ、前々のごとく当社に安堵されている(同月19日「真田信幸宛行状」)。以後大宮神社の除地願や真田氏改易に伴う車両召し上げに関する文書などが残されている。
検索手段 『群馬県史収集複製資料目録』第1集、当館インターネット検索目録
利用上の留意点 本資料は、マイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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