資料区分 県史複製
請求番号 H62-3中世
文書群名 善導寺文書
伝存地 吾妻郡東吾妻町
出所 吾妻郡東吾妻町大字原町 善導寺
地名 吾妻郡平川戸町(中世)
旧支配 岩櫃城主斎藤氏/真田氏(中世)
役職等 浄土宗寺院
歴史 普光山善導寺と号す。本尊は阿弥陀如来。▼延文元年に識阿空寂を開山として川戸村に創建され、末寺120か寺を擁し、西山派西谷義吾妻教系の談所として栄えたという。(吾妻郡誌)▼檀越飽間氏の滅亡後、天文年間に斎藤氏の香華院となり、郷原へ移転した。▼永禄6年、斎藤氏が岩櫃城で滅んだ後は、真田氏の支配下に組み込まれ、天正10年正月28日の武田家朱印状で川戸村のうちで13貫文の寺領寄進を受けている。(加沢記所収文書/県史資料編7)▼慶長4年には火災で堂宇・什物をことごとく焼失したという(吾妻郡略記)。その後もたびたび火災に罹ったが、それは当寺が真田氏の会所として使われたため、斎藤氏の祟りで出火するのであるといわれ、のちにその怨霊を鎮めるために、境内に斎藤堂を建立し、岩櫃城最後の城主斎藤基国の木像を祀った。▼元和3年に現在地に移り、貞享年間に江戸増上寺の末寺となり、以後鎮西派に転じた。
伝来 善導寺に伝来
数量 1
年代 文化7年
構造と内容 寺史に関する普光山善導寺由緒書 全(文化7年1月写)を収録
検索手段 『群馬県史収集複製資料目録』第1集、当館インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』『平凡社日本歴史地名大系10 群馬県の地名』
利用上の留意点 本資料は、マイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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