資料区分 |
県史複製 |
請求番号 |
H64-1中世 |
文書群名 |
下屋正一家文書 |
伝存地 |
嬬恋村 |
出所 |
嬬恋村 下屋正一家文書 |
地名 |
三原荘 |
旧支配 |
海野氏→国衆真田氏→沼田藩真田家→幕府領 |
役職等 |
滋野下屋しゅげん(修験)・先達 |
歴史 |
下屋家は信濃の海野幸盛の子下屋将監幸房が鎌倉時代に吾妻郡三原村(嬬恋村)に進出、西吾妻のほとんどを支配し修験道も支配したという(群馬県姓氏家系大辞典)。草津白根信仰と深くかかわり、先達を務め常法院を経営した。下屋家は宗教面で三原荘を支配し一族も分家し、旦那の数も鎌倉期の6人から江戸時代初期には98人に増えたという。 |
伝来 |
下屋家に伝来した文書。 |
数量 |
75 |
年代 |
建久5年(1194)~明治29年(1896) |
構造と内容 |
鎌倉時代初めから天正末年にわたる20余点の中世文書を中心に明治期までの、上野における熊野御師の活動状況を伝える地方の修験関係文書。おもに吾妻川上流の嬬恋村周辺(中世の吾妻庄三原村)の熊野先達職相伝文書で、この地域一帯の檀那の動向をうかがわせる。貞治元年(1362)萩原賢秀は「下屋の惣領しゅげん」を嫡子出羽守に譲っているが、その職を「二所先達」(白根明神・小白根明神か)と言っている。下屋修験先達は旦那を持ち、下屋刑部太夫・薩摩阿闍梨・和泉坊・淡路坊・犬法師の先達が旦那を相続し、鎌原・西窪・羽尾など同族が旦那であったという(群馬県姓氏家系大辞典)。 |
検索手段 |
『群馬県史収集複製資料目録』第1集、当館インターネット検索目録 |
利用上の留意点 |
本資料は、マイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。 |