資料区分 県史複製
請求番号 H65-1中世
文書群名 黒岩嗣佐喜家文書
伝存地 草津町
出所 草津町 黒岩嗣佐喜家文書
地名 草津/草津村
旧支配 武田氏/真田氏(湯本氏)/沼田藩領/幕府領
歴史 光泉寺記録などの開湯伝説には行基・源頼朝らがあげられる。文献上から湯治が確認できるのは室町時代に入ってからで、文明4年(1472)本願寺蓮如が入湯している(「西厳寺由緒書」西厳寺文書)。同18年常光院尭恵は「北国紀行」に白井(現北群馬郡子持村)より「桟路を伝ひて、草津の温泉に二七日計入て、詞もつゞかぬ愚作などし、鎮守の明神に奉りし、又山中をへていかほの出湯にうつりぬ」と記す。永禄7年2月湯本三郎右衛門息小次郎と善太夫は武田信玄より草津湯と草津谷の本領を安堵されている。天正3年5月長篠の合戦に参加した湯本善太夫は戦傷をうけて没した。武田勝頼は6月16日浦野義見斎に命じて、善太夫の老母に対し湯屋敷三間と手作地を与えている(「跡部勝資判物」浦野元男氏所蔵文書)。湯本跡は甥の三郎右衛門に与えられた(加沢記)。
数量 1
年代 永禄10年(1567)
構造と内容 永禄10年(1567)上州攻略を進めていた武田信玄が、吾妻三原衆に命じ、この年の6月から9月までの間、一般の入浴を禁じさせた文書である。
検索手段 『群馬県史収集複製資料目録』第1集、当館インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10』[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は、マイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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