資料区分 県史複製
請求番号 H74-1中世
文書群名 赤見岱一家文書
伝存地 月夜野町(現みなかみ町)
出所 月夜野町(現みなかみ町) 赤見岱一家文書
地名 名胡桃/名胡桃村/下津村
旧支配 真田氏/北条氏/真田氏/沼田藩
役職等 安中氏家臣/武田氏家臣/北条氏家臣・中山城将
歴史 赤見氏は下野佐野氏庶家に当たるが、沼田顕泰の妹が赤見六郎(刑部少輔綱重か)に嫁し、後嗣がなかったため、天文頃に顕泰の次男綱泰が養子に入ったという(初代の赤見山城守綱泰)。赤見綱泰は安中重繁の家臣に一時なるが、その後に武田家臣となり信濃に移住している。嫡子の赤見山城守泰拠も武田家臣として活動し、始め信濃で所領を与えられるが、天正10年の武田氏滅亡後に北条家臣となり上野国移住し、翌年には中山城(高山村)を与えられている。その子赤見源七郎昌泰も、永禄11年武田信玄から信濃飯山での戦功を賞されるなど、はじめ武田氏に仕え、天正10年の武田氏滅亡後は父とともに北条氏に仕えた。その後、井伊直政・真田昌幸・上杉景勝と主君を替え、慶長19年松平忠輝に350石で仕官するが、忠輝改易後に高崎の安藤重信に仕えたという(『武田氏家臣団人名辞典』)。
数量 18
年代 永禄11年(1568)~元禄8年(1695)
構造と内容 赤見氏が武田氏・北条氏から受給した文書群と、江戸前期の文書群からなる。永禄11年には赤見源七郎が信濃飯山・駿河薩た山における戦功をそれぞれ武田信玄から賞されている(武田信玄判物写)。元亀4年には武田家定書で信州塩平の地など宛がわれている。年未詳12月18日「北条氏康感状写」によれば、赤見山城守が戦功につき上州において望みの地を宛行ことを約束されている。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『武田氏家臣団人名辞典』[東京堂]、『角川日本地名大辞典10』[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料はマイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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