資料区分 県史複製
請求番号 H76-4-3近世
文書群名 海圓寺文書
伝存地 新治村(現みなかみ町)
出所 曹洞宗海圓寺
地名 利根郡相俣村(近世)/利根郡湯ノ原村大字相俣(明治22年~)/利根郡新治村大字相俣(明治41年~)/利根郡みなかみ町相俣(平成17年~)
旧支配 沼田藩領(真田氏、天正18年~)/幕府領(天和元年~)/越後長岡藩預かり地(寛延2年~)/幕府領(寛延3年~)/旗本領(大久保氏:文化9年~)
歴史 補陀山海圓寺と号す。本尊は馬頭観世音菩薩。開創は慶長2年(1597)で、開基は猿ヶ京にあった宮野城城主尻高左馬亮義隆の家臣笛木雅楽之助で、泰寧時三世学庵長芸が相俣地内竹の上に隠居寺としたものが前身。▼天正8年(1580)に尻高左馬亮が真田正幸家臣沼田城代海野幸輝に攻められ自刃する際、護持仏であった馬頭観世音菩薩像を当時相俣にあった真言宗真光寺に託し、真光寺の僧が相俣地内に観音堂を立てて安置したという。その後真光寺は廃され、観音堂の馬頭観世音を本尊とする海圓寺が誕生した。▼享保11年(1726)四世泰岩雄善の時に伽藍は焼失、その後再建されたが文久2年(1862)の火災で再び焼失した。
伝来 曹洞宗海圓寺
数量 6
年代 天明8年(1788)~安政6年(1859)
構造と内容 天明8年~安政6年の宗門御改帳6冊。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第8集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『日本歴史大系10群馬県の地名』、『ぐんまのお寺 曹洞宗Ⅱ』(上毛新聞社)など
利用上の留意点 本資料はマイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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