資料区分 |
県史複製 |
請求番号 |
H80-9-1近世 |
文書群名 |
赤堀恒雄家文書 |
伝存地 |
赤堀町(現伊勢崎市) |
地名 |
佐位郡今井村/佐位郡赤堀村大字今井/佐波郡赤堀村大字今井/佐波郡赤堀町大字今井/伊勢崎市赤堀町 |
旧支配 |
幕府領(寛永5年~)/前橋藩領(寛永8年~)/幕府領(寛永11年~)/下総佐倉藩領(寛永13年~)/幕府領(寛永18年~)/旗本領(牧野氏、正保4年~)/幕府領(正保11年~)/旗本領(相給:牧氏・松下氏、元禄11年~)/岩鼻県(慶応4年~)/群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/群馬県(明治9年~) |
役職等 |
佐位郡今井村名主、第十七大区第四小区副区長など |
歴史 |
南北朝期の郷名は「今井郷」。佐位郡佐位荘のうち。▼江戸期の今井村の村高は「寛文郷帳」では394石余のうち田方232石余・畑方118石余・林高43石余。「元禄郷帳」では、458石余、「天保郷帳」では468石余、「旧高旧領帳」では463石余。▼幕末の「改革組合村高帳」では、伊勢崎町寄場組合に属し、寺領などを除き高409石余、家数75。▼赤堀村は明治22年に、今井・五目牛・下触・堀下・市場・野・西久保・曲沢・間野谷・香林・西野(以上佐位郡)、磯村(勢多郡)の12ヶ村が合併して成立。はじめは佐位郡、明治29年からは佐波郡に所属する。▼「赤堀」の地名は鎌倉期から見える。赤堀氏の来歴は『上野国誌』によれば、「赤堀氏は、田原藤太秀郷の末葉であり、足利又太郎忠綱の弟、足利二郎泰綱4代の孫にして、孫太郎と称し、佐位郡赤堀を領し、初めて赤堀氏を称す」とある。▼現在の恒雄氏は、泰綱より数えて39代目にあたる。江戸期は名主として、明治期には第17大区第4小区副区長(赤堀久弥)を務めている。酒造業を営む。 |