資料区分 県史複製
請求番号 H81-1-8近世
文書群名 萩原信之家文書
伝存地 佐波郡東村(現伊勢崎市)
出所 伊勢崎市(旧佐波郡東村)  萩原信之家
地名 佐位郡小保方村(近世初期~)/佐位郡東小保方村(幕末期「旧高旧領取調帳」)/佐位郡東村(東小保方村・西小保方村・田部井村・国定村・上田村の5か村と八寸村の一部が合併)大字東小保方(1889年・明治22年~)/佐波郡東村大字東小保方(1896年・明治29年~)/伊勢崎市東小保方町(2005年・平成17年~)
旧支配 旗本・久永氏領(近世)/岩鼻県(明治元年6月~)/第一次群馬県(明治4年10月~)/熊谷県(明治6年6月~)/第二次群馬県(明治9年8月~)
役職等 旗本・久永家の中小姓、同家の近習格、同家の用人、陣屋元役など
歴史 小保方(東小保方)は、利根川支流の平川中流域に位置する。▼村高は、「寛文郷帳」で1,182石、うち田方714石、畑方468石。「元禄郷帳」「天保郷帳」とも同高。▼旗本・久永氏の陣屋が置かれ、久永氏領(佐位郡東小保方村8か組・佐位郡木嶋村・新田郡西鹿田村・下野国阿蘇郡赤見村・同国同郡田沼村・武蔵国児玉郡根木村・常陸国河内郡馴馬村・同国信太郡村田村・同国同郡阿見村)を支配した。▼「旧高旧領取調帳」には、東小保方村と記されている(村高1,182石)。▼萩原家当主は、江戸の旗本・久永家に用人として出仕した。領主・久永勝信が、駿府城番として赴任した際には、駿府と江戸で仕え、郷里の東小保方村では陣屋元役人を勤めた。また、幕末期には戸田氏に仕えた。▼神社は大東神社・勝呂社など、寺院は天台宗の龍善寺などがある。
数量 167
年代 宝暦8年(1758)~慶応元年(1865)
検索手段 『群馬県史収集複製資料目録 第2集』
関連資料 当館収蔵の原本(P0201)。▼『史料館所蔵史料目録 第21集 上野国東小保方村萩原家文書目録』(1973年3月、国立史料館/現・国文学研究資料館)には、約600点の萩原家文書が整理公開されており、当館収蔵分の一部であったと推定される(収蔵歴史アーカイブズデータベース)。▼その他の小保方村(東小保方村)の収蔵文書は同家「萩原信之家文書」(P0201)のほか、複製資料の「小保方十四男家文書」(H81-1-1近世)、「栗田隅雄家文書」(H81-1-2近世)、「小暮孝夫家文書」(H81-1-4近世)、「塩島篤夫家文書」(H81-1-5近世)、「平井村若居者組有文書」(H81-1-6近世)、「木暮隆光家文書」(H81-1-7近世)、「萩原信之家文書」などがある(いずれも『群馬県史収集複製資料目録 第2集』所収)▼参考文献としては角川書店『角川日本地名大辞典 10 群馬県』、平凡社『群馬県の地名 日本歴史地名体系10』、群馬県文化事業振興会『上野国郡村誌 14 佐波郡』、丑木幸男著『上野国郷帳集成』などがある。
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条および「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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