資料区分 県史複製
請求番号 H82-1-7近世
文書群名 長光寺文書
伝存地 境町(現伊勢崎市)
出所 天台宗 長光寺
地名 佐位郡仮宿村→境村→境町(慶安年間~)/佐位郡境町大字境(明治22年~)/佐波郡境町大字境(明治29年~)/伊勢崎市境(平成17年~現在)
旧支配 慶長6年(1601)伊勢崎藩領/元和2年(1616)前橋藩領/天和元年(1681)伊勢崎藩領/明治4年(1871)伊勢崎県→第1次群馬県/明治6年(1873)熊谷県/明治9年(1876)第2次群馬県
歴史 小柴山自性院長光寺と号す。本尊は阿弥陀如来。▼寺伝によると、当寺は応永年間(1394~1428)に元高大法師が開山し、元和年間(1615~1624)に晃海法印の中興という。以後、当寺は晃海法印を一世として起算している。▼晃海は天海僧正の高弟で、元和元年(1615)、天海が徳川家康に世良田長楽寺の復興を命じられた時に同行し、実務に当たっていた僧という。▼また、開基は『伊勢崎風土記』(寛政十年 伊勢崎藩士関重嶷著)によれば、小柴長光であるという。▼明和三年(1766)には、佐波三十四番観音札所が定められると、当寺は三十二番札所となった。また、文化8年(1811)には、これまで世良田長楽寺の寺中であったが、末寺としての寺格を上野寛永寺から允許された。▼江戸末期には二十三世雄山、二十四世亮詮の代には寺子屋を開き、多くの子弟たちを教育していた。
伝来 天台宗 長光寺
数量 29
年代 明和9年(1772)~明治4年(1871)
構造と内容 №1/10 「東叡山表願中記録(末寺に引直し願一件)」(文化8年)など本山である上野寛永寺との関係を伝える文書、№2/12「日記(享永法印遷化他)」(安政2年5月~)、№4/187「竪儀道中日記(世良田から京都まで)」(安政4年8月21日~)など近世の歴代住持によって著された日記、№1/番外「当寺世代略記」(年不詳)など寺史に関係する文書で構成される。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『ぐんまのお寺 天台宗Ⅰ』(上毛文庫)
利用上の留意点 本資料はマイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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