資料区分 県史複製
請求番号 H82-15-12近世
文書群名 田島弥平家文書
伝存地 佐波郡境町島村(現伊勢崎市)
出所 伊勢崎市(旧境町) 田島弥平家
地名 佐位郡島村/佐位郡島村(明治元年~)/佐位郡島村(明治4年~)/佐位郡島村(明治6年~)/佐位郡島村(明治9年~)/佐波郡島村(明治29年~)/佐波郡境町大字島村(昭和30年~)/伊勢崎市境島村(平成18年~)
旧支配 三給:幕府領・旗本領(酒井・佐々木家)
役職等 島村勧業会社社長(弥平)
歴史 田島家は又太郎経国を始祖とし、新田荘田島郷(現、太田市)に住み岩松氏に仕えていたが、戦国期頃島村へ移住土着したようである。▼江戸時代に大本家善兵衛家から弥兵衛家として分家(ほかに平右衛門家・武兵衛家などがある)した。▼弥平(文政5年出生、明治3年弥兵衛を改名、明治31年死去)も島村の蚕種製造及び販売に尽力した一人で、養蚕技術の研究を進めるかたわら『養蚕新論』(明治5年刊)・『続養蚕新論』(同12年刊)を出版し、その中で新たな飼育法である清涼育を提唱した。▼また、島村勧業会社は、一族の武平らとともに蚕種の改良と共同販売、蚕種製造資金の供給を目的に設立し、外国での蚕種の直輸出を行なった。▼なお、田島弥平旧宅は「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産に登録された。
数量 86
年代 寛政12(1800)年~明治5(1872)年
構造と内容 年代のわかる最も古い文書は、寛政12(1800)年の「元文式(明和7年6月三奉行所より国々役人方へ)」、次いで文化15(1818)年の「見聞記録(梅陵田先生像・信濃紀行他)」である。▼「新撰養蚕往来 全」「蚕繭買入帳」「蚕種商人連名帳」「横浜蚕種日記」など、養蚕業・蚕種業に関する文書が中心である。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録
関連資料 同家に関する当館収蔵資料は、マイクロ収集文書「佐波郡境町島村田島弥平家所蔵文書」(PF9401)、また、県史複製資料「田島弥平家文書」(H82-15-12近世)がある。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
先頭に戻ります。