資料区分 県史複製
請求番号 H84-15-1近世
文書群名 長楽寺文書
伝存地 尾島町(現太田市)
出所 天台宗 長楽寺
地名 新田郡世良田村(近世~)/新田郡世良田村大字世良田(明治22年~)/新田郡尾島町大字世良田(昭和32年~)/太田市世良田町(平成17年~現在)
旧支配 幕府領→幕府領・旗本岩松氏(相給)/正保元年(1644)幕府領・忍藩(相給)/元禄11年(1698)幕府領/天保10年(1839)幕府領・旗本林氏(相給)/天保11年(1840)幕府領・旗本松平氏・旗本林氏(相給)/天保12年(1841)幕府領・旗本松平氏(相給)/明治元年(1868)岩鼻県/明治4年(1871)栃木県/明治9年(1876)第2次群馬県
歴史 世良田山(良田山)真言院長楽寺と号す。本尊は釈迦三尊。▼東日本最初の禅寺で、関東十刹の寺として知られる。新田氏の祖義重の子徳川義季を開基とし、日本臨済宗の祖栄西の高弟栄朝を開山として、承久3年(1221)に創建された。中世を通じて名僧碩学を多く輩出し、思想界に大きな影響を与えた。▼室町時代の後半から次第に衰退したものの、江戸時代に入り、慶長17年(1612)に徳川家康は祖先開基の長楽寺が荒廃しているのを嘆いて天海僧正を入山させ、復興に当たらせた。天海は境内の整備と伽藍を修復するとともに臨済宗を天台宗に改宗し、寺内に元和元年(1615)造営の日光東照宮の社殿を一部移築して勧請し、長楽寺をその別当とした。▼寛永十年(1633)の『寺院本末帳』には、東叡山寛永寺末で、御朱印高三百石、末寺は寺中八カ寺を加えて百九カ寺とあり、孫末寺を加えて数百カ寺を擁する天台宗別格大寺であった。
伝来 天台宗 長楽寺
数量 50
年代 文禄3年(1594)~明治18年(1885)
構造と内容 天海が発給した№①/長0「長楽寺掟書(20カ条)」(寛永20年)など近世歴代住持に関連する文書の他、№14/B公46「〔三緒袈裟免許状〕」(元禄11年)など寺僧の宗教活動に関する文書が多い。また、№8/A74「御宮御建立由来・当寺来由・御修理記」(享保19年)など堂宇の建立や修築にまつわる文書も多く見受けられる。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『ぐんまのお寺 天台宗Ⅰ』(上毛文庫)
利用上の留意点 本資料はマイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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