資料区分 県史複製
請求番号 H87-3-2近世
文書群名 高橋欣也家文書
伝存地 笠懸町(現みどり市)
出所 みどり市笠懸町久宮・高橋家
地名 上野国新田郡久々宇村/岩鼻県新田郡久々宇村、栃木県新田郡久々宇村(明治4年)/群馬県新田郡久々宇村(明治9年)/新田郡久宮村(明治10年、久々宇村と桃頭村が合併)/新田郡笠懸村大字久宮(明治22年)/みどり市笠懸町久宮(平成18年・2006年~現在)
旧支配 寛文10年(1670)代官岡上景能が開発した笠懸野新田の内に成立。初め幕府領/天保10年(1839)上総国貝淵藩領/天保11年幕府領/安政5年(1858)旗本岡部氏領/明治元年(1868)岩鼻県/明治4年栃木県/明治9年第二次群馬県
歴史 村高は、「元禄郷帳」では久々村と見え208石余、「天保郷帳」・「旧高旧領」ともに208石余。貞享2年(1685)12月8日、真言宗大慶寺(旧新田町)に宛てた入門願書には、久々宇村名主武兵衛・組頭彦兵衛ほか当村の16名が連署されている(国瑞寺文書)。安政5年(1858)の反別本途名寄帳によると、高208石余・反別96町7反(皆畑)、検見取りで取永31貫文余。集落は、銅山街道を軸とし、その東西両側に屋敷を配置し、門口は大部分が15間、屋敷に続いて風除け・畑・林畑を接続して設け、320間内外に地割りして形成された。地割りは、銅山街道に直交して短冊形をしている。鎮守は、寛文年間に代官岡上景能が新開地のため5神の祠・3寺を建設したうちの1つと思われる神明宮が、西浦地区に祀られている。村の南端に黄檗宗臥竜庵がある。幕末の改革組合村高帳では、本町村寄場組合に属し、高208石余、家数31。
伝来 みどり市笠懸町久宮・高橋家
数量 1
年代 天正19年(1591)5月
構造と内容 徳川家康朱印状(相模国東郡300石宛行、天正19年)がある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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