資料区分 県史複製
請求番号 H87-4-1近世
文書群名 井田峰之輔家文書
伝存地 笠懸町(現みどり市)
出所 みどり市笠懸町西鹿田・井田家
地名 上野国新田郡西鹿田村/岩鼻県新田郡西鹿田村、栃木県新田郡西鹿田村(明治4年)/群馬県新田郡西鹿田(明治9年)/新田郡笠懸村大字西鹿田(明治22年)/みどり市笠懸町西鹿田(平成18年・2006年~現在)
旧支配 初め幕府領/元和2年(1616)旗本久永氏領/明治元年(1868)岩鼻県/明治4年栃木県/明治9年第二次群馬県
歴史 村高は、「寛文郷帳」500石のうち田方237石余・畑方263石余、「元禄郷帳」・「天保郷帳」・「旧高旧領」ともに500石余。文久2年(1862)の宗旨人別帳では、人数340のうち男173・女167。鎮守は、向山の金山神社、寺院は中島の天台宗久永山長昌寺。長昌寺は、天元元年(978)、現在の新里村善昌寺境内に創建されたが、寛永2年(1623)中慶和尚によって当村に中興され、開基は領主久永源兵衛であった(社寺明細簿)。同寺は、天保11年(1840)正月6日に焼失したが、翌年再建された。文化9年(1812)から明治8年(1875)に至る「田園覚帳」によると、主産物は、米・大麦・小麦・蚕・大豆・蕎麦・薪などで、薪・大豆・生糸は大間々町の市場へ出荷していた(高橋家文書)。幕末の改革組合村高帳では、本町村寄場組合に属し、高500石余、家数80。
伝来 みどり市笠懸町西鹿田・井田家
数量 3
年代 天保4年(1833)8月~天保12年11月
構造と内容 〔糸繭売り掛け貸金滞り出入〕(天保4年)、〔年貢割付状〕(天保5年)、覚(米代差引き残金上納覚、天保12年)がある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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