資料区分 |
県史複製 |
請求番号 |
H88-6-1近世 |
文書群名 |
鹿沼和重家文書 |
伝存地 |
大間々町(現みどり市) |
出所 |
みどり市大間々町小平・鹿沼家 |
地名 |
上野国山田郡小平村/岩鼻県山田郡小平村(明治元年)/栃木県山田郡小平村(明治4年)/群馬県山田郡小平村(明治9年)/山田郡大間々町大字小平(明治22年)/みどり市大間々町小平(平成18年・2006年~現在) |
旧支配 |
初め館林藩領/寛永年間(1624~1644)旗本設楽氏領/正保年間(1644~1648)館林藩領/天和2年(1682)旗本甲斐庄氏領/明治元年(1868)岩鼻県/明治4年栃木県/明治9年第二次群馬県 |
歴史 |
村高は、「寛文郷帳」87石余のうち、田方11石余・畑76石余、「元禄郷帳」・「天保郷帳」・「旧高旧領」ともに303石余。慶長3年(1598)の桐生領惣永辻改め帳に「一、永拾七貫五百廿三文 仁田山八郷之内小平村」と記されている(『山田郡誌』)。村内の成満院の海野氏は、代々本山派聖護院系の修験者で、同家には円空作の木彫りの月光菩薩像があり、円空が上野国内から日光方面へ向かう途中立ち寄ったものと思われる。同成満院不動堂には、不動明王・毘沙門天・庚申像が安置されており、近年まで密教修法が行われていた。この堂は、御子守様と呼ばれて親しまれた。幕末の改革組合村高帳によると、当村は大間々町寄場組合に属し、高303余、家数108。 |
伝来 |
みどり市大間々町小平・鹿沼家 |
数量 |
31 |
年代 |
寛文8年(1668)2月~明治4年(1871)11月 |
構造と内容 |
上野国山田郡小平村田畑御水帳写(寛文8年)、乍恐以書付御訴訟申上ヶ候(絹判銭御免願、享保5年鹿沼太郎兵衛写、元禄11年)、乍恐以書付奉願上候(年番名主不正に付駆け込み願書、宝暦12年)などがある。 |
検索手段 |
『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録 |
関連資料 |
参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など |
利用上の留意点 |
本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。 |