資料区分 県史複製
請求番号 H91-10-1近世
文書群名 塩谷正邦家文書
伝存地 邑楽郡明和村(現明和町)
出所 邑楽郡明和町 塩谷正邦家
地名 邑楽郡川俣村/邑楽郡佐貫村川俣(明治22年)/邑楽郡明和村川俣(昭和30年)/邑楽郡明和町川俣(1999年~)
旧支配 館林藩領/幕府領(寛永20年)/館林藩領(正保元年)/幕府領(天和3年)/以後、享保19年~元文5年と文政7年~天保7年に幕府領なる他は館林藩領/栃木県(明治4年~)/群馬県(明治9年~)
役職等 川俣村名主、川俣村本陣、佐貫村村長、川俣郵便局長
歴史 江戸時代の川俣村は日光脇往還の宿場であり、村の南を流れる利根川は上州と武州の国境であることから川俣関所が置かれ、川俣河岸も設けられていた。▼塩谷家は江戸時代川俣村の名主を務めるとともに、川俣宿の本陣でもあった。▼明治時代以降は、明治初年から川俣郵便局を経営するとともに、佐貫村村長などにも就任している。
数量 71
年代 寛永20(1643)年~明治5(1872)年
構造と内容 年代のわかる最も古い文書は、寛永20(1643)年の「〔諸役免状〕(渡船・御伝馬役に付)」、次いで明暦2(1656)年の「東上州左貫庄邑楽郡川俣村田方地詰帳」「東上州左貫庄邑楽郡川俣村畠方地詰帳*抄」である。▼近世村方文書が中心で、関所手形等の川俣関所関係文書や、利根川加用水組合関係文書がある。▼ほかに年貢関係の文書など。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第2集、インターネット検索目録
関連資料 同家に関する当館所蔵の資料は、マイクロ収集文書「邑楽郡明和町塩谷正久家文書」(PF0208)、県史複製資料「塩谷正邦家文書」(H91-10-1近現)がある。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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