資料区分 県史複製
請求番号 H4-48-1近現
文書群名 武藤清家文書
伝存地 太田市
出所 太田市龍舞町 武藤家
地名 上野国山田郡龍舞村/栃木県山田郡龍舞村(明治4年)/群馬県山田郡龍舞村(同9年)/新田郡韮川村大字龍舞(明治22年)/新田郡休伯村大字龍舞(明治26年)/太田市大字龍舞(昭和32年)、その後太田市龍舞町
旧支配 初め館林藩領/寛永20年(1643)幕府領/同21年館林藩領/天和2年(1682)旗本・幕府の相給/幕末期は小泉村寄場組合に属す/明治元年(1868)岩鼻県/同4年栃木県/同9年第二次群馬県
歴史 【中世 寮米保】鎌倉期~室町期に見える保名。山田郡。「神鳳抄」には、内宮の所領として「寮米御厨」と見え、当地が伊勢神宮領であったことが知られている(神宮文庫/群馬県史資料編6)。▼嘉暦3年(1328)4月8日に三善貞広法師は佐貫荘高根郷弘願寺に寺領を寄進したが、その別紙注文の9か所の所領のうちに「同(佐貫)庄内料米保内名田畠」が見える(同前)。▼当保は、内島村・西内島を含んでおり、康永2年(1343)8月20日の山田郡寮米保西内島注文(正木文書/群馬県史資料編5)は、当保内西内島村の田数注文に年貢・請作者(在家)が記されたものであるが、その末尾に暦応4年(1341)2月10日の鎌倉府執事上杉憲顕奉書写が写されており、その中に「上野国山田郡寮米保内西内島村〈佐貫内島彦六入道・同孫六入道跡〉事」と見え、当保西内島村は佐貫一族の内島氏から没収されたのち勲功の賞として佐貫一族の江口氏に預け置かれたことがわかる(同前)。
数量 48
年代 明治9年(1876)~昭和16年(1941)
構造と内容 共農舎農場日誌、育種日誌など、農業に関する文書が多い。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第4集、インターネット検索目録
関連資料 当館所蔵の同家の複製資料として「武藤清家文書」(H4-5中世)、「武藤清家文書」(H4-48-6近世)がある。参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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