資料区分 県史複製
請求番号 HA-14-1中世
文書群名 建長寺文書
伝存地 神奈川県鎌倉市
出所 神奈川県鎌倉市山ノ内 建長寺
地名 相模国鎌倉郡鎌倉郷(中世)
旧支配 源氏/北条氏/足利氏/上杉氏/後北条氏(中世)
役職等 臨済宗建長寺派本山寺院
歴史 鎌倉五山の一つ。臨済宗建長寺派の本山。正式には建長興国禅寺という。山号は巨福山。本尊は地蔵菩薩。神奈川県鎌倉市山ノ内にある。▼建長元年(1249)北条時頼の発願により創建され、同5年に落成、年号にちなんで建長寺と称された。開山は蘭渓道隆。以後、蘭渓の門派である大覚派の本拠として栄えるとともに、歴代には兀庵普寧・無学祖元など当代を代表する各派の禅匠が住し、鎌倉五山全体の中心をなしていた。▼執権北条貞時のころには、すでに鎌倉幕府から五山の称号を与えられていたが、延慶元年(1308)貞時の奏上によって定額寺に列せられ、朝廷から勅額を賜った。。▼暦応4年(1341)には室町幕府によって五山の第一位に列せられた。その後足利義満によって五山位次が最終的に決定された時にも、鎌倉五山の第一位に列せられている。▼鎌倉期から戦国期に至る度重なる火災により衰退し、盛時には50を超えた塔頭も江戸期には10数院となった。
伝来 建長寺に伝来
数量 30
年代 建武3年(1336)~明治19年(1886)
構造と内容 聖教類のほか、足利尊氏御判御教書(建長寺を諸山の列とする事:建武3年)、北条氏掟書(寺中への兵糧指置き停止など2ヵ条:天正18年)、豊臣秀吉朱印状(寺領安堵及び国役免除の事:天正18年)、徳川家康書状(在陣中の蝋燭贈与に感謝の事:12月晦日)など、足利将軍家や戦国大名の発給文書が存在する。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『国史大事典』『鎌倉市史』
利用上の留意点 本資料はマイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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