資料区分 県史複製
請求番号 HA-14-3中世
文書群名 浄妙寺文書
伝存地 神奈川県鎌倉市
出所 神奈川県鎌倉市浄明寺 浄妙寺
地名 相模国鎌倉郡鎌倉郷(中世)
旧支配 源氏/北条氏/足利氏/上杉氏/後北条氏(中世)
役職等 臨済宗建長寺派寺院
歴史 山号稲荷山。開山退耕行勇、開基足利義兼。中興開基足利貞氏と伝える。本尊釈迦如来坐像。もと鎌倉五山第五位。▼文治4年(1188)義兼が創建した極楽寺が当寺の前身で、禅密兼修の濃い寺であった。▼正嘉元年(1257)蘭渓道隆の法嗣月峯了然が住山以後、寺名を変更し純粋禅への道をたどったとみられる。▼元亨元年(1321)北条貞時十三年忌供養には衆僧51人が参加した。寿福寺260人、浄智寺224人などと比較すると大寺でなかったことを思わせる。▼元弘2年(1332)竺仙梵僊が北条高時に請じられて入寺の際、山門・祖堂・方丈で諷経しているが、応安元年(1368)3月、足利義詮の遺骨が当寺光明院へ分骨されたときは無住であった。▼鎌倉御所(鎌倉公方)足利氏の外護のもとに、同氏菩提寺の一つとして寺勢を保持したが、応永31年(1424)・永享元年(1429)などに罹災し、文明18年(1486)ころには著しく荒廃した。▼小田原北条氏は天文16年(1547)と同22年に合わせて4貫300文を寄進したが、徳川家康も天正19年(1591)北条氏と同高の寺領を寄せている。▼本堂裏には伝足利貞氏墓という明徳3年(1392)銘の宝篋印塔があり、重要文化財木造退耕行勇像は当寺の代表的な寺宝である。境内は国史跡。
伝来 浄妙寺に伝来
数量 5
年代 天正19年(1591)~明治13年(1880)
構造と内容 徳川家康寄進状(相模国小坂郡鎌倉内4貫300文分)(天正19年(1591))、徳川秀忠朱印状(相模国鎌倉内4貫300文分の安堵)(元和3年(1617))など徳川将軍からの発給文書と聖教類を収録。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『国史大事典』『鎌倉市史』
利用上の留意点 本資料はマイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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