資料区分 県史複製
請求番号 H12-10-2近現
文書群名 津久井愛啓家文書
伝存地 赤城村(現渋川市)
出所 渋川市赤城町宮田・津久井家
地名 上野国勢多郡宮田村/淀県、群馬県勢多郡宮田村(明治4年)/熊谷県勢多郡宮田村(明治6年)/群馬県勢多郡宮田村(明治9年)/南勢多郡宮田村(明治11年)/南勢多郡横野村大字宮田(明治22年)/勢多郡横野村大字宮田(明治29年)/勢多郡赤城村大字宮田(昭和31年)/渋川市赤城町宮田(平成18年・2006年)
旧支配 前橋藩領/明和4年(1767)幕府領/天明5年(1785)淀藩領/明治4年淀県・第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県
歴史 〔近代 宮田〕明治22年(1889)の戸数87、人口567。同24年の戸数93、人口は男305・女286、学校1・水車場5。同25年の土地状況は、田22町余・畑48町余・宅地9町余・山林62町余・原野2町余。明治末年、津久井太兵衛が、下仁田からコンニャク種芋40貫目ほど購入、栽培を始めた。同じく明治末年頃、宇沓谷戸に碓氷社所属の水車を動力とする機械製糸工場が設立され、地内の養蚕農家の子女が工女として勤め、1日1人4~5升の繭を挽いたが、大正10年(1921)頃閉鎖した。
伝来 渋川市赤城町宮田・津久井家
数量 3
年代 明治17年(1884)~明治18年(1885)7月
構造と内容 NEW NATIONAL THIRD READER(英学校教科書、明治17年)、THE MODERN LINGUIST(英学校教科書、明治18年)、THE FIRST READER(英学校教科書、明治18年)がある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第4集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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