資料区分 県史複製
請求番号 H12-13-2近現
文書群名 津久田区有文書
伝存地 赤城村津久田(現渋川市)
出所 渋川市赤城町・津久田区
地名 上野国勢多郡津久田村/岩鼻県勢多郡津久田村(旧旗本領、明治元年)/前橋県勢多郡津久田村(前橋藩領、明治4年)、群馬県勢多郡津久田村(明治4年)/熊谷県勢多郡津久田村(明治6年)/群馬県勢多郡津久田村(明治9年)/群馬県南勢多郡津久田村(明治11年)/群馬県勢多郡敷島村大字津久田村(明治22年)/群馬県勢多郡赤城村大字津久田(昭和31年)/群馬県渋川市赤城村津久田(平成18年・2006年~現在)
旧支配 大胡藩領/白井藩領(元和4年)/下総古河藩領(明暦元年)/幕府領(万治元年)/幕府領・旗本保々氏の相給(宝永4年) /前橋藩・旗本保々氏の相給(寛保3年)/幕府領・旗本保々氏の相給(延享4年)/前橋藩・旗本保々氏の相給(嘉永2年)/旧旗本領(岩鼻県、明治元年)/前橋藩領(前橋県、明治4年)、第一次群馬県(明治4年)/熊谷県(明治6年)/第二次群馬県(明治9年)
歴史 〔近代 津久田〕明治22年(1889)、字東宿の民家を借用し、敷島村役場に充て、同43年字八幡に庁舎を新築し移転した。同24年の戸数310、人口は男838・女787、学校1・水車場19。同32年、棚下郵便局が廃され、役場南に敷島郵便局が開設され、上宿・下宿が村の中心となった。同23年、組合法に基づく共同製糸組合が設立され、同35年に碓氷社に加盟した。字六万に共同揚げ返し工場を建設し、釜数82基で操業し生糸200貫を産出した。社員は80名であった。津久田人形舞台は、享保18年(1733)頃から桜座と称する八幡宮の氏子によって運営されてきたもので、現在も受け継がれている。
伝来 近世から明治時代にかけて名主や戸長などを務めた池田家(渋川市赤城町津久田)の蔵に保管されていた。
数量 27
年代 明治5年(1872)~明治18年(1885)
構造と内容 〔地引絵図作成についての達書〕(明治5年)、地租改正誓約書(明治9年)、〔上毛繭共進会開催願並びに規則〕(明治14年)、日本鉄道会社へ入社盟約証(明治15年)などがある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第4集、インターネット検索目録
関連資料 当館所蔵の原本として「旧赤城村津久田区有文書」(P1204)、複製資料として「津久田区有文書」(H12-13-1近世)、津久田村の原本として「角田修家文書」(P0103)。ほかに複製本として狩野新作家文書(H12-13-2近世)・津久田中組有文書(H12-13-3近世)・津久田中組宿組有文書(H12-13-5近世)・角田元広家文書(H12-13-6近世)・須田武雄家文書(H12-13-7近世)・角田包義家文書(H12-13-9近世)・池田元明家文書(H12-13-10近世)・狩野勝男家文書(H12-13-11近世)・狩野勝次郎家文書(H12-13-12近世)など(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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