資料区分 |
県史複製 |
請求番号 |
H18-1-1近現 |
文書群名 |
星野愷家文書 |
伝存地 |
黒保根村(現桐生市) |
出所 |
桐生市黒保根町下田沢 星野家 |
地名 |
勢多郡水沼村/南勢多郡水沼村(明治11年)/南勢多郡黒保根村大字水沼(明治22年)/勢多郡黒保根村大字水沼(明治29年)/桐生市黒保根町水沼(平成17年) |
旧支配 |
初め幕府領/寛文元年(1661)館林藩領/天和2年(1682)旗本酒井氏領・池田氏領の相給/幕府領・旗本池田氏の相給/文化9年(1812)旗本赤松氏領と旗本池田氏領の相給/慶応4年(1868)6月岩鼻県/明治元年(1868)11月前橋藩領/明治4年(1871)前橋県・第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県 |
役職等 |
星野長太郎は、明治初期、養蚕業の盛んな岩鼻県(現群馬県)の役人(公用掛)。1874年(明治7年)、群馬県初の日本人の手による民間洋式器械製糸所である水沼製糸所を開設。1876年(明治9年)、実弟新井領一郎をニューヨークに派遣し、外国人居留地外商を経由せずに日本人として初めて生糸の直(じか)輸出を実現。精糸原社副頭取、上毛繭糸改良会社頭取、横浜同伸会社取締役会長などを歴任。日本蚕糸協会、蚕糸業組合中央部、大日本蚕糸会、日本蚕糸会等の全国規模の蚕糸業団体幹部を歴任。枢密顧問官や初代群馬県議会副議長、帝国議会衆議院議員などを歴任。 |
歴史 |
村高は、「元禄郷帳」680石余、「天保郷帳」「旧高旧領」いずれも670石余。安永5年(1776)の高反別並諸色書上帳によると、旗本池田氏領503石余・幕府領161石余。同帳によると、幕府領は家数41うち寺1、人数177うち男95・女82、馬23、鉄砲3。清水・柏山・出合原・前田原の各地区は、台地にあるため水利に恵まれず、江戸末期に3本の用水路が開削された。これが清水堀・柏山堀・出会原堀で、前掲各地区の生活・灌漑用水を充たした。寺院は、上田沢村医光寺の末寺として、清水に愛宕山清水寺、鹿角に薬樹山源正寺、柏山に福林山吉祥寺、前田原に慈源山長清寺があったが、いずれも大正期までに医光寺へ統合された。神社は柏山に赤城神社の本社があり、それぞれの地域に分社を勧請した。幕末の改革組合村高帳によると、水沼村寄場組合に属し、高670石余、家数139。明治7年(1874)となり、高270石余、家数52。明治6年(1873)、楡沢(ねりざわ)村を合併。 |
伝来 |
勢多郡黒保根村水沼 星野家 |
数量 |
963 |
年代 |
慶応4年(1868)3月~昭和22年(1947)9月 |
構造と内容 |
特に、明治初期以降の水沼製糸場・生糸売り捌き・輸出関係文書、前橋製糸原社関係文書、産業組合関係文書など、群馬県地域の近・現代史を研究する上で貴重な文書が多数含まれている。 |
検索手段 |
『群馬県史収集複製資料』第4集、インターネット検索目録 |
関連資料 |
参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など |
利用上の留意点 |
本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。 |