資料区分 県史複製
請求番号 H18-4-1近現
文書群名 新井聖家文書
伝存地 黒保根村(現桐生市)
出所 桐生市黒保根町下田沢 新井家
地名 勢多郡下田沢村/南勢多郡下田沢村(明治11年)/南勢多郡黒保根村大字下田沢(明治22年)/勢多郡黒保根村大字下田沢(明治29年)/桐生市黒保根町下田沢(平成17年)
旧支配 初め幕府領/寛文元年(1661)館林藩領/天和2年(1682)旗本酒井氏領・池田氏領の相給/幕府領・旗本池田氏の相給/文化9年(1812)旗本赤松氏領と旗本池田氏領の相給/慶応4年(1868)6月岩鼻県/明治元年(1868)11月前橋藩領/明治4年(1871)前橋県・第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県
役職等 新井毫は、明治期の政治家、国民協会所属(3期)衆議院議員。水沼の星野家と姻戚関係。
歴史 明治7年(1874)、高270石余、家数52。明治6年(1873)、楡沢(ねりざわ)村を合併。明治22年の戸数235・人口1,139人。同24年の戸数210、人口は男669・女683、学校1・水車場8。大正初期開業、昭和初期に廃業となった赤城湖水会社は、湖面の自然結氷を切り出して水沼駅まで鉄索で運び出した。明治43年、営林署経営の育苗圃が設置された。明治9年、新井領一郎は水沼製糸所の生糸をアメリカへ直輸出するため渡米し、そのまま永住した。彼の養子先は同村内の鹿角(かづの)で、領一郎の孫娘ハル(後に駐日大使に就任するライシャワー博士夫人)は、第二次大戦中、祖父領一郎の実家に疎開した。明治期の政治家・民権家の新井毫も鹿角に生まれた人物である。
伝来 勢多郡黒保根村下田沢 新井家
数量 25
年代 明治13年(1880)11月~明治31年3月
構造と内容 板垣退助氏意見書(明治20年)、新井毫伝(年次不詳)、〔新井毫写真〕(年次不詳)、新井毫宛て書状・封筒などがある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第4集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
先頭に戻ります。