資料区分 |
県史複製 |
請求番号 |
H19-8-1近現 |
文書群名 |
桑原光司家文書 |
伝存地 |
勢多郡東村(現みどり市) |
出所 |
みどり市東町沢入・桑原家 |
地名 |
上野国勢多郡沢入村/岩鼻県勢多郡沢入村(明治元年)、群馬県勢多郡沢入村(明治4年)/熊谷県勢多郡沢入村(明治6年)/群馬県勢多郡沢入村(明治9年)/南勢多郡沢入村(明治11年)/南勢多郡東村大字沢入(明治22年)/勢多郡東村大字沢入(明治29年)/みどり市東町沢入(平成18年・2006年~現在) |
旧支配 |
初め幕府領/寛文元年(1661)館林藩領/のち再び幕府領/明治元年(1868)岩鼻県/明治4年(1871)第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県 |
歴史 |
〔近代 沢入〕明治24年(1891)の戸数76、人口は男227・女241、学校1・水車場3。勢多郡東村のうち、農家戸数が最も少ない地区であるが、養蚕業は比較的盛んである。大沢寺の庚申塔、黒坂石の蚕影神社は、蚕の神として祀られていた。明治20年以降、隣接する足尾の銅運搬が盛んとなり、馬車屋と呼ばれる運送業者があった。この存在は、沢入地内に産出する薪炭・諸木材などの生産・運搬を促進した。明治42年の戸数165・人口976。大正元年(1912)、足尾鉄道が敷設されると、鉄道建設のため来ていた石工を使って、花崗岩の採掘が始められた。花崗岩は、貨車輸送により東京方面へ出荷され、都電の敷石などに利用された。以来、花崗岩の採掘は続けられ、昭和期にかけて、当地の主要産業に発展した。 |
伝来 |
みどり市東町沢入・桑原家 |
数量 |
1 |
年代 |
大正12年(1923) |
構造と内容 |
仕入単価表(鳥居柱石他の単価並びに馬車運賃等)(大正12年)がある。 |
検索手段 |
『群馬県史収集複製資料』第4集、インターネット検索目録 |
関連資料 |
参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など |
利用上の留意点 |
本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。 |