資料区分 県史複製
請求番号 H42-1-1(4)近現
文書群名 吉井町郷土資料館文書4(旧坂口村役場関係)
伝存地 吉井町(現・高崎市)
出所 吉井町郷土資料館(現・高崎市立吉井郷土資料館)
地名 甘楽郡坂口村(近世)/北甘楽郡岩平村坂口(明治22年~)/甘楽郡岩平村坂口(昭和25年~)/多野郡吉井町坂口(昭和30年~)/高崎市吉井町坂口(平成21年~)
旧支配 水野隼人正(慶長)/七日市藩領(元和2年~、前田家)/七日市県(明治4年~)/第一次群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/第二次群馬県(明治9年~)
歴史 坂口は、上信国境に源をもち東流する鏑川左岸の中山丘陵に位置し、同川に坂口川が注ぐ。集落は丘陵地帯の入口に発達し、これが地名の起源と考えられる。▼近世の村高は「寛文郷帳」で228石、うち田方146石余・畑方81石余、「元禄郷帳」同高。「天保郷帳」340石余、「旧高旧領」も同高。▼幕末の改革寄場組合では、小幡村寄場組合に属し、高264石余、家数48。▼坂口温泉がある(炭酸成分を含んだ塩化物泉)。▼岩平村は明治22年に甘楽郡上奥平村・下奥平村(両村は明治初年に奥平村より分村)・岩崎村・坂口村の4か村が合併して成立した。▼4か村とも近世は七日市藩領であった。幕末の改革寄場組合では岩崎村・坂口村が小幡村寄場組合、奥平村が安中宿寄場組合に属していた。▼地区には岩平小学校がある。山崎種ニ(山種証券創業者)は坂口の出身で、岩平小学校を卒業した。▼甘楽郡は明治11年に北甘楽郡、南甘楽郡に分かれた。北甘楽郡は鏑川流域で、上州一之宮等がある。郡役所は富岡町に置かれた。(南甘楽郡は埼玉県と接する神流川流域で、現在の多野郡)。
伝来 吉井町郷土資料館(現・高崎市立吉井郷土資料館)収蔵。
数量 17
年代 明治7年(1874)~昭和15年(1940)
構造と内容 甘楽郡坂口村の村政に関する文書である。「戸長役場」印が押されたものもある。▼年代の明らかなものは、岩平村が成立する明治22年以前の文書である。▼保健行政、特にコレラ流行にともなう防疫対策の資料がある。▼「虎列刺病係ル許限取扱方法」(1/1)も坂口村の疫病対策に関する書類で、絵図の一部が写っている。▼鉄道に関する文書もある。明治14年頃と思われる〔鉄道会社創設一件書類〕(1/9)等もある。▼坂口や岩平地区、旧・北甘楽郡の近代行政に関する貴重な史料群である。▼なお、「吉井町郷土資料館文書4(旧岩平村役場蔵)」(H42-1-1(4)近世)は、寛永期の坂口村の検地帳等3点である。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第4集、インターネット検索目録
関連資料 当館の収蔵資料に、寛永期の坂口村の検地帳等3点の「吉井町郷土資料館文書4(旧岩平村役場蔵)」(H42-1-1(4)近世)。▼絵図として明治6年の壬申地券地引絵図「坂口村」(A0181AMA 776、国重文)等。▼岩平地区の近世の文書群として「井上元家文書」(H42-25-1近世)、「堀越菊一家文書」(H42-25-2近世)、「吉井町郷土資料館文書8(井上誠三郎氏寄託文書)」(H42-1-1(8)近世)等。▼七日市藩関係の文書群として「富岡市七日市保阪家文書」(PF8801)、「富岡市七日市大里家文書」(PF8802)等。▼図書として『吉井町誌』『多野藤岡地方誌』岩平地区の項、『富岡市史』、『郡村誌』坂口村の項、『島高堅自記 多胡旧記・吉井町由来覚書』等。▼当資料と同じく「H42-」で請求番号が始まる県史収集複製資料は、旧・多野郡吉井町に伝来した資料である。▼参考文献:上記の他に『群馬県北甘楽郡史』『角川日本地名大辞典10群馬県』『群馬県史』『群馬県姓氏家系大辞典』等
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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