資料区分 県史複製
請求番号 H42-13-1近現
文書群名 向井周治家文書
伝存地 吉井町(現・高崎市)
出所 多野郡吉井町(現・高崎市) 向井周治家
地名 多胡郡塩村(近世)/多胡郡多胡村塩(明治22年~)/多野郡多胡村塩(明治29年~)/多野郡吉井町塩(昭和30年~)/高崎市吉井町塩(平成21年~)
旧支配 吉井藩領(天正18年~、菅沼氏)/幕府領林代官所支配(慶長15年~)/伊奈代官所支配/旗本倉橋領(寛永2年~)/幕府領と旗本溝口領(天和3年~)/旗本溝口領352石余りは幕末まで/幕府領121石余りは御三卿清水家領(文政7年~)を経て幕府領(安政4年~)/岩鼻県(明治元年~)/第一次群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/第二次群馬県(明治9年~)
役職等 組頭、村長、群馬県会議員等(向井周弥)
歴史 向井周弥は安政元(1854)年(嘉永7年とも)に多胡郡塩村(現・高崎市吉井町塩)に生まれた。号を八束山人。▼塩村の組頭、副戸長、連合戸長を経て、初代多胡村村長に就任。大正4年に退任するまで26年間村政をあずかった。▼また、5度群馬県県会議員に選ばれ、多野郡会議員等の要職を歴任。▼一方、「上毛及上毛人」に多くの研究を載せ、自伝をはじめ、吉井町地域を中心に歴史に関する多くの文章を残した。それらは『吉井町誌』等に引用されたり、参考にされた(高崎市指定重要文化財「向井家古文書」)。▼大正14(1925)年没。内閣総理大臣高橋是清による篆額の頌徳碑が建設された。▼淳三は村・町・郡の儀会長等を歴任した(昭和32年没)。▼向井家は武田家家臣であったが、塩村に帰農したという。永代名主で、塩村三家の一つであった(ほかに橋爪・江原)。▼周弥の父、重郎治は長州戦争に地頭溝口氏(陸軍奉行)の中小姓に登用され、慶応4年の吉井近郷の世直し一揆鎮圧を指揮した。▼江戸中期、孫七は出家し、菩提寺仁叟寺20世月鑑賢高和和尚となった(天明8年没)。▼所蔵者の周治氏は周弥の孫である。▼塩は南は八束山を主峰とする山地、北は神保丘陵に位置する。中央を大沢川(鏑川支流、元禄15年上野国絵図に記載)が流れる。▼地名の由来は地内に字塩田があり、塩分を有する鉱泉が湧出することによるという。▼八束山頂は戦国期の典型的な山城跡で、羊太夫伝説の城としても知られる。辛科神社は昔この村にあったという。▼近世、製米業を営む橋爪吉右衛門が用水路を開削し、隣村神保村の水田に灌漑の便を与えた。この用水は神保堰と称し、下流の吉井宿・池村にも恩恵を与えている。▼旗本溝口氏の代官所は緑野郡本動堂村(現・藤岡市)の小保方家であった。▼幕末の改革組合村高帳では、吉井村を寄場とする多胡郡27か村の組合に属した。高477石余り、家数38。▼弘化・嘉永年間、橋爪家が蚕種業を始め、養蚕を奨励、塩村は製糸・織機で他村に先んじて活況となり、明治7年には橋爪小弥太・向井周弥が製糸工場伊勢崎共研社分社を起こした。同社は吉井町製糸工場の先駆で、のちに甘楽社井池組に発展した。
伝来 向井家に伝来。
数量 16
年代 明治24年(1891)~大正12年(1923)
構造と内容 初代多胡村村長等、要職を歴任した向井周弥(安政元年生まれ)が明治24年~大正12年に執筆した自伝や日記、手記16点である。▼『自伝真秘録』4冊・『消閑日記』15冊・見聞録、漫遊紀行など11冊は「向井家古文書」として高崎市指定重要文化財となっている。▼幕末以降の様子を詳細に伝える史料として『吉井町誌』等に引用されたり、参考にされている。▼『自伝真秘録』は村長退任後に、幼少の頃の思い出や過去の記録、日誌などを整理して回顧録風に「発端」「地租改正」「 戸長就任(村長・県会議員当選)」「稿」の4冊にまとめたものである。この中で「打ち壊し騒動」「地券の調査」「小学校の設置」などは村政の責任者としての幾多の困難を乗り越えて成し遂げた貴重な記録である。▼「随時雑録」(3/1)は大正4年、「消閑日録」(4/3ほか)は大正5年以降の日記である。翁の晩年の生活が克明に記録されているが、行政に関する記事が多いようである。▼そのほか、「南甘楽漫遊見聞略記」は多野郡の成立を前に、「職務上参考ノ為」「緑埜・多胡両郡有志諸君」あてに書かれた南甘楽郡(神流川流域)の概略である(明治24年)。明治29年に緑埜郡・多胡郡・南甘楽郡が合併され、多野郡が誕生した(郡役所は藤岡町に置かれた)。▼「鹿沢紀行」(3/2)は明治37年に鏑川の馬庭の渡しを経て、山名駅から汽車に乗り、碓氷峠をアプト式で越えて、鹿沢温泉へ向かった旅行記である。▼いずれも多野藤岡・吉井町地域の様子が詳しく記録された貴重な史料群である。(参考資料:高崎市のホームページ「高崎市の文化財市指定 」)
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第4集、インターネット検索目録
関連資料 当館の収蔵資料に、絵図として明治6年の壬申地券地引絵図「塩村」(A0181AMA 761、国重文)等。▼旧・多胡村の役場文書として「吉井町郷土資料館文書1」(H42-1-1(1)近現)、「吉井町郷土資料館文書2」(H42-1-1(2)近現)等。▼多胡地区の近世文書として「神保金光家文書」(H42-10-1近世)、「大沢要八家文書」(H42-15-1近世)等。▼ほかにマイクロフィルム収集資料として「上野吉井藩記録」(PF9003)、「旧多胡村役場文書」(PF9208)。▼図書として『吉井町誌』、『多野藤岡地方誌』多胡地区の項、『群馬県多野郡誌』、『郡村誌』各村の項、『島高堅自記 多胡旧記・吉井町由来覚書』等。▼また、当資料と同じく「H42-」で請求番号が始まる県史収集複製資料は、旧・多野郡吉井町に伝来した資料である。▼参考文献:上記の他に『角川日本地名大辞典10群馬県』『群馬県史』『群馬県姓氏家系大辞典』等。
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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