資料区分 |
県史複製 |
請求番号 |
H82-15-1近現 |
文書群名 |
田島弥平家文書 |
伝存地 |
佐波郡境町島村(現伊勢崎市) |
出所 |
伊勢崎市(旧境町) 田島弥平家 |
地名 |
佐位郡島村/佐位郡島村(明治元年~)/佐位郡島村(明治4年~)/佐位郡島村(明治6年~)/佐位郡島村(明治9年~)/佐波郡島村(明治29年~)/佐波郡境町大字島村(昭和30年~)/伊勢崎市境島村(平成17年~) |
旧支配 |
三給:幕府領・旗本領(酒井・佐々木家) |
役職等 |
島村勧業会社社長(弥平) |
歴史 |
田島家は又太郎経国を始祖とし、新田荘田島郷(現、太田市)に住み岩松氏に仕えていたが、戦国期頃島村へ移住土着したようである。▼江戸時代に大本家善兵衛家から弥兵衛家として分家(ほかに平右衛門家・武兵衛家などがある)した。▼弥平(文政5年出生、明治3年弥兵衛を改名、明治31年死去)も島村の蚕種製造及び販売に尽力した一人で、養蚕技術の研究を進めるかたわら『養蚕新論』(明治5年刊)・『続養蚕新論』(同12年刊)を出版し、その中で新たな飼育法である清涼育を提唱した。▼また、島村勧業会社は、一族の武平らとともに蚕種の改良と共同販売、蚕種製造資金の供給を目的に設立し、外国での蚕種の直輸出を行なった。▼なお、田島弥平旧宅は「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産に登録された。 |
数量 |
455 |
年代 |
安政6(1859)年~昭和15(1940)年 |
構造と内容 |
年代のわかる最も古い文書は、安政6(1859)年の「安政己未七月英商ヲツプルトより養蚕之議ニ差出候書面三通和解」、次いで文久3(1863)年~明治18(1885)年の「幕末ヨリ明治初期蚕種輸出記録」である。▼田島家が精力的に取り組み、成果を上げた養蚕業・蚕種業に関する文書が中心である。▼島村勧業会社、島邨組の文書が多い。「蚕種輸出規則」「〔書状〕(イタリア・ミラノより蚕種売り捌き状況、蚕種売上金送付の件)」「風穴蚕種註文簿*抄」などもある。 |
検索手段 |
『群馬県史収集複製資料』第4集、インターネット検索目録 |
関連資料 |
同家に関する当館収蔵資料は、マイクロ収集文書「佐波郡境町島村田島弥平家所蔵文書」(PF9401)、また、県史複製資料として「田島弥平家文書」(H82-15-12近世)がある。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など) |
利用上の留意点 |
本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。 |