資料区分 県史複製
請求番号 H88-1-1近現
文書群名 高草木浩平家文書
伝存地 大間々町(現みどり市)
出所 みどり市大間々町大間々・高草木家
地名 上野国山田郡大間々村/岩鼻県山田郡大間々村(明治元年)/栃木県山田郡大間々村(明治4年)/群馬県山田郡大間々村(明治9年)/山田郡大間々町大字大間々(明治22年、大間々村・桐原村が合併)/みどり市大間々町大間々(平成18年・2006年~現在)
旧支配 初め伊勢崎藩領/寛文元年(1661)館林藩領/天和2年(1682)幕府領/延享4年(1747)前橋藩領/明和6年(1769)幕府領/安永8年(1779)出羽松山藩領/明治元年(1868)岩鼻県/明治4年栃木県/明治9年第二次群馬県
歴史 〔近代 大間々〕明治24年の戸数549、人口は男1,189・女1,224、学校1。現在の第三セクターわたらせ渓谷鉄道は、大正元年(1912)に私鉄の足尾鉄道として桐生~足尾間が開通し、町の北東部に大間々駅が設置され、同7年国鉄足尾線となった。東武鉄道桐生線は、大正2年、太田~相老間が開通し、その後新大間々駅(現赤城駅)まで延伸された。上毛電気鉄道は、昭和3年(1928)中央前橋駅~西桐生駅間が竣工し営業を開始した。のち、町南部の新大間々駅で、東武鉄道桐生線と接続することになった。このように、大間々は、当地域の交通の要衝として発展していった。
伝来 みどり市大間々町大間々・高草木家
数量 118
年代 明治4年(1871)4月~明治5年(1872)10月
構造と内容 御用留(明治4年)、入置申約定書之事(笠掛野古用水路に付、明治5年)、寄場組合村々御請書(明治5年)などがある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第4集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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