資料区分 |
古文書 |
請求番号 |
P7801 |
文書群名 |
関緑家文書 |
伝存地 |
吾妻郡吾妻町植栗(現東吾妻町) |
出所 |
吾妻郡東吾妻町(旧吾妻町) 関緑家 |
地名 |
我妻郡植栗村/吾妻郡植栗村/第二十大区第三小区/吾妻郡太田村/吾妻郡郡吾妻町殖栗/吾妻郡東吾妻町殖栗 |
旧支配 |
沼田藩領(恩田庄助・桃井清兵衛給分)/旗本領(土屋氏)/岩鼻県/第一次群馬県/熊谷県/第二次群馬県 |
役職等 |
吾妻郡植栗村組頭・百姓代など |
歴史 |
関家は、「関氏世代相続之事」(№644、マイクロ閲覧)によると藤原南家の流れで、美濃国郡上郡に下り、後に同国武芸郡関に居住したことから関氏と称した。織田氏に仕えたが、天文年間には流浪の身となり、吾妻郡の山中に帰農したという。江戸時代初期、植栗村は沼田藩主真田信幸の領地であったが、天和元年(1681)の真田家改易によって幕府領となり、元禄11(1698)には旗本土屋氏の領地となり、以後江戸時代をとおして同家の領地であった。 |
伝来 |
植栗村の村役人(組頭・百姓代)あるいは植栗村村会議員という立場で作成・収受した公的文書と関家の私的文書を伝える。文書は同家敷地内の土蔵の中に保管されていた。県史編さん室へ寄託の後、文書館開館に伴い当館へ寄託。 |
数量 |
695 |
年代 |
天正7年(1579)~昭和32年(1957)*閲覧公開分 |
構造と内容 |
本文書群は江戸時代後期の植栗村村方文書と江戸時代後期から明治期にかけての関家の私的文書が含まれる。明治期初期の植栗村関係文書も含まれるが少数にとどまる。 |
検索手段 |
関緑家文書目録、『群馬県立文書館収蔵文書目録』16、インターネット検索目録 |
関連資料 |
関緑家文書(PF9805、マイクロ目録)、茂木友彦家文書(H62-5-1近世)、吾妻町役場太田支所所蔵文書(H62-5-2近世、H62-5-1近現)、伊能光雄家文書(P8003)、『あがつま太田村誌』、『群馬県吾妻郡誌』など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など) |
利用上の留意点 |
一部マイクロ閲覧(PF9805)、「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。 |