資料区分 古文書
請求番号 P8004
文書群名 河合雄一郎家文書
伝存地 利根郡新治村東峰須川(現みなかみ町)
出所 利根郡みなかみ町(旧新治村) 河合雄一郎家
地名 吾妻郡東峰須川村(幕末期~)/吾妻郡久賀村大字東峰須川(明治22年~)/利根郡久賀村大字東峰須川(明治29年~)/利根郡新治村大字東峰須川(明治41年~)/利根郡みなかみ町東峰須川(平成17年~)/利根郡みなかみ町東峰(現在)
旧支配 沼田藩領(真田信幸、天正18年~)/幕府領代官支配(天和元年~)/越後国長岡藩預かり地(寛延2年~)/幕府領代官支配(200石余)・旗本領(伊丹直賢、204石余、寛延3年~)/旗本久世氏領(文化9年~慶応3年)/沼田藩鎮撫(慶応4年4月~)/岩鼻県(明治元年11月~)/第一次群馬県(明治4年11月~)/熊谷県(明治6年~)/第二次群馬県(明治9~)
役職等 吾妻郡東峰須川村名主など
歴史 もと峰須川村の一部。峰須川村内は、早くから西峰須川村と東峰須川村に分けられていたらしいが、峰須川村は「旧高旧領」で2村に分けられ、当村の村高は404石余。▼天保4~5年の「御検地以来名主之覚」による姓氏別家数は、笛木12・河合18・斉藤1・神保6・原沢3・大島1・小池(本多)姓41となっている。▼地区には天保13年(1842)建築の大庄屋宅(河合家住宅/旧大庄屋役宅書院)が現存しており、書院をもつ造作で、県重要文化財に指定されている。▼幕末の改革組合村高帳では、須川村寄場組合に属し、高404石余、家数63。明治24(1891)の戸数60、人口は男169・女175、寺1。▼河合家は藤原ノ朝臣を先祖とし、もとは河井姓であったという。その13代後に作右衛門を名乗り、江戸時代を通して代々作右衛門を襲名した。▼江戸時代、河合家の当主の作右衛門は、元文年間に峰須川村八郎兵衛組あるいは作右衛門組の名主を務め、延享3年の旗本領と幕府領に村高が二分された際には御料所の名主を勤めたほか、以降幕末に至るまで断続的に名主役を務めていた形跡がある。▼また、年寄を務めていた年もあり、天保年間以降は名主よりも年寄や大年寄を務めていたことの方が多い。
伝来 吾妻郡東峰須川村川合家に伝わった吾妻郡峰須川村・東峰須川村の村方文書と同家の私的文書である。
数量 1154
年代 慶安4年(1651)~明治34年(1901)
構造と内容 ①近世峰須川村・東峰須川村関係文書 549点(支配・領主125点、村政188点、村況・戸口15点、土地28点、貢租90点、講82点、寺社21点)、②河合家私的文書 605点(家計24点、家業346点、生活39点、学芸196点)からなる。
検索手段 河合雄一郎家文書目録、『群馬県立文書館収蔵文書目録』18、インターネット検索目録
関連資料 東須川村関係文書として、東峰須川区有文書(H76-6-4近世、H76-6-2近現)、大庄屋定右衛門に家に伝来した河合三郎家文書(H76-6-5近世、H76-6-1近現)。▼旗本伊丹氏の村方支配関係文書として、新治村村有文書(P8417)、吾妻町大津区有文書(P8811)、市村了家文書(P9003)など。▼『新治村史料集』3・4、『新治村誌』、『群馬県史』資料編12など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 特になし
先頭に戻ります。