資料区分 古文書
請求番号 P08005
文書群名 倉品右近家文書
伝存地 沼田市下久屋町
出所 沼田市 倉品右近家
地名 利根郡下久屋村(近世)/第十八大区第三小区/利根郡利南村(明治22年~)/沼田市下久屋町(昭和29年~)
旧支配 沼田藩領(真田氏、天正18年~)/幕府領(天和元年~)/沼田藩領(本多氏、元禄16年~)/幕府領(享保15年~)/沼田藩領(黒田氏、享保17年~)/沼田藩領(土岐氏、寛保2年~)/沼田県(明治4年~)/群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/群馬県(明治9年~)
役職等 江戸時代に旧利根郡下久屋村名主、明治期に下久屋村副戸長、同戸長、利南村村長、同村会議員など
歴史 倉品家は、信濃国埴科郡倉科郷が出自であると伝えられ、下久屋村内定住後、多くの倉品姓一族を創出した。▼江戸後半期に持高を増やし、第13代目の勘右衛門(文化13年~明治12年)の時には50石を数えるに至った。▼養蚕経営にも取り組んでいた。▼また、12代の勘右衛門(嘉永5年没)、15代の正澄(大正6年没)は寺子屋の師匠を務めていた。▼下久屋は西流する片品川の北岸河岸段丘上に位置している。沼田市街の東方であり、近世は沼田城下の近郊農村としての性格を持っていたと考えられる。土地は検地帳の地目によると、ほとんど畑地であった。
伝来 倉品家に伝来、当館へ寄贈された。
数量 2030
年代 寛永10年(1633)~昭和28年(1953)
構造と内容 江戸時代の名主文書だけでなく、倉品家の経済活動に関する文書も多く含まれる。明治期以降も戸長や村長を歴任したことにより、村行政、地租改正、村議会、学校関係の文書がある。また典籍や往来物などは寺子屋を経営したことによる。また倉品家の子弟が使用した近代教科書類も含まれる。▼【第2次公開】第1次(1983年)で公開された文書に続くものであり、これで倉品家文書の公開は終了する。▼第2次公開の4点のうち、3点は関連するものである。No.993-1(切り抜き帳)とNo.993-2(絵画)はバインダー(No.993-3)に挟まれていた。▼No.993-1は私製のスクラップ・ブックで、少女向け雑誌等から切り抜いたと思われる挿絵や、人物の白黒写真が貼られている。▼挿絵はカラーと白黒印刷で、大正から昭和初期にかけ、絶大な人気を博したという高畠華宵(たかばたけ かしょう、1888年~1966年)のものが多い。高畠華宵はイギリスの画家オーブリー・ビアズリー(1872年~1898年)等の影響を受けたとされる。実際、今回の切り抜きにもその影響が見て取れるが、同時に独自の個性が認められるものとなっている。▼高畠華宵は現在高く評価され、複製も流通している。しかし、本資料は当時出版された雑誌等から直接切り抜かれたものであり、この点で極めて貴重な資料と考えられる。▼No.993-2は倉品みち(倉品美智子)氏が学校に提出するなどしたと思われる絵画作品15点である。画用紙に描かれた水彩画や図案画であるが、本県における美術教育の一端がうかがえる資料である。▼No.993-3は上記の2点を挟んでいたバインダーである。布張りの表紙には英字のスタンプ(KURASHINA MICHIKO)が斜めに押印され、洒落ている。▼以上の3点は持主の美的感覚とともに、大正から昭和期の本県の一女性を取り巻く美術・アートの環境がうかがえるものであり、大変興味深い。▼最後の1点(No.996)は、倉品家や「上組」の古文書が収納されていた木箱4点である。年代等が墨書されており、江戸時代の文書保存の様子を知ることができる。
検索手段 倉品右近家文書目録、『群馬県立文書館収蔵文書目録』1、インターネット検索目録
関連資料 『利南村誌』、『群馬県史』資料編4、翻刻「上野国利根郡下久屋村倉品家日記 一」「上野国利根郡下久屋村倉品家日記 二(付録) 上野国利根郡下久屋村倉科日記物価記事年表」(ぐんま史料研究)など。▼当館収蔵の雑誌関連として、少女向け・少年向けの雑誌等がある佐鳥英雄氏収集文書(P8413)など。(参考文献として角川書店『角川日本地名大辞典 10 群馬県』、平凡社『群馬県の地名 日本歴史地名体系10』、群馬県文化事業振興会『上野国郡村誌』、丑木幸男著『上野国郷帳集成』など。)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条および「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
先頭に戻ります。