資料区分 古文書
請求番号 P8101
文書群名 小林正義家文書
伝存地 沼田市沼須町
出所 沼田市 小林正義家
地名 利根郡沼須村(江戸時代)/利根郡利南村沼須(明治22年~)/沼田市沼須町(昭和29年~現在)
旧支配 沼田藩領(真田信幸、天正18年~)/幕府領代官支配(天和元年~)/沼田藩領(本多正永、元禄15年~)/幕府代官支配(享保15年~)/沼田藩領(黒田氏領、享保17年~)/沼田城主土岐氏領(寛保2年~)/沼田藩鎮撫(慶応4年4月~)/沼田県(明治4年7月~)/第一次群馬県(明治4年10月~)/熊谷県(明治6年~)/第二次群馬県(明治9年~)
役職等 利根郡沼須村名主、利南村戸長、「大津屋」など
歴史 万治2年(1659)の村高352石余から、寛文2年(1662)の真田氏検地で村高1,605石余に打ち出されたが、同氏改易後、幕命による貞享3年(1686)の酒井氏検地で876石余になった(沼須町区有文書、『利南村誌』)。▼なお「寛文郷帳」では村高355石余のうち田方50石余・畑方304石余、「元禄郷帳」876石余、「天保郷帳」「旧高旧領」とも同高。享保10年(1725)の年貢割付状(旧沼須町区有文書)によれば、村高876石余、反別121町余のうち田方15町余・畑方105町余、貢租は米55石余・永130貫余文、他に百姓林年貢・漆年貢・夫銭・薪役・山札銭の小物成がある。▼村内には相隔たって2つの集落が形成されており、それぞれ上組・下組と呼ばれた。▼元和2年(1616)沼田藩主が真田信幸の時に沼須新田の宿割りがなされたという(『沼田市史』)。この沼田新田沿いの道は、沼田藩主の参勤道にあたり、渡し舟で片品川対岸の森下宿に出た。新田南端の西側にかけて横町と呼ぶ船頭宿があったが、現在は河原となっている。▼社寺は、砥石神社と天台宗正福寺がある。▼幕末の改革組合村高帳では、糸井村寄場組合に属し、高876石余、家数159。明治17年(1884)8月戸鹿野・戸鹿野新町・上沼須・下久屋・横塚・沼須の六ヶ村連合役場が置かれた。▼同16年、当村から上組が分かれ、上沼須村となる。
数量 466
年代 貞享3年(1686)~明治13年(1880)*閲覧公開分
構造と内容 ①利根郡沼須村名主文書(村方文書)ほか、②小林家私的文書(農業・商業経営関係他)、などからなる。
検索手段 小林正義家文書目録、『群馬県立文書館収蔵文書目録』4、インターネット検索目録
関連資料 『利南村誌』など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 特になし
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