資料区分 古文書
請求番号 P8104
文書群名 京ヶ島公民館文書
伝存地 高崎市京目町
出所 高崎市 京ヶ島公民館
地名 群馬郡京目村(江戸時代)/群馬郡京ヶ島村大字京目(明治22年~)/群馬郡群南村大字京目(昭和31年~)/高崎市京目町(昭和40年~現在)
旧支配 松井田城主大導寺氏領(天正年間)/旗本領(戸田備後守、慶長12年~)/高崎藩領(松平輝貞、元禄11年~)/高崎藩領(間部詮房、宝永7年~)/高崎藩領(松平輝照、享保2年~)/高崎県(明治4年7月~)/第一次群馬県(明治4年10月~)/熊谷県(明治6年~)/第二次群馬県(明治9年~)
歴史 京目村は、利根川支流の滝川流域の平坦地に位置する。明治22年(1889)~昭和40年(1965)の大字名。明治24年の戸数95、人口は男317・女379、水車場1。栽培主作物は、米・麦・大豆・小豆で、桑樹栽培も盛んとなる。明治期に入り、蚕糸業は年々経営が拡大され、従来の副業から農業の主体となり、大正期には年間収繭300貫~500貫程の大養蚕家が相当数でき、各製糸業者の生繭買入所を開設、年間4・5万貫の即売取引が行われた(『京ヶ島村誌』)。前橋~藤岡間の県道が南北に、高崎~駒形間の県道が東西に通る交差点に位置し、交通の要所となっている。昭和40年の世帯数190・人口1,000。京ヶ島村役場は、現在の京ヶ島公民館の敷地に建っていたが、今では公民館入り口の石塔で確認できるのみである。『歩兵第十五連隊史』付録「戦没者名簿」によると、京ヶ島村内の日露戦争戦没者は1名(柴田寅太郎)。『郷土誌』原稿および「日露戦役記念帳」には、京ヶ島村から日露戦役への出征者は71名、内7名が戦病死となっている。
伝来 京ヶ島村長・村役場、京ヶ島小学校、京ヶ島尚武会に戦地より宛てられた書簡。京ヶ島公民館より群馬県史編さん室へ寄託され、当館に引き継がれた。
数量 86
年代 明治37年(1904)~明治41年(1908)
構造と内容 すべてが、京ヶ島村から日露戦役に就いた出征兵士から京ヶ島村内各種団体に宛てた戦地等からの書簡。出兵中の各部隊の詳細な行動や出征者の心情等がわかり、日露戦争にかかわる今後の研究に役立つと思われる内容を含む。
検索手段 京ヶ島公民館文書目録、『群馬県立文書館収蔵文書目録』21、インターネット検索目録
関連資料 「群馬郡京ヶ島村郷土誌」(PF0007№135)、『新編高崎市史』『群馬県史』通史編7、『高崎歩兵第十五連隊史』など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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